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「綱引き」の行く末「シャーロック 忌まわしき花嫁」感想

海外ドラマ SHERLOCK

 

 「シャーロック 忌まわしき花嫁」の感想とか考察とか。

 

 

まずは整理

  • 主軸:シャーロックによる「モリアーティは本当に死んだのか?」考察
  • 副主軸:シャーロックの人間性と合理性の「綱引き」
  • 作品世界の構成:
    現実→ジョンのブログ→マインドパレス内の19世紀→(19世紀のジョンの著作と)ライヘンバッハ→現実
    往還タイプもしくは(見ようによっては)循環タイプの構成。

主軸:シャーロックによる「モリアーティは本当に死んだのか?」考察

シャーロックはこの点を考察するために「死んだと見せかけて生きていたと見せかけてやっぱり死んでいた」ヴィクトリア時代の事件を掘り返すことにした。

考察の結果、この事件と同じでモリアーティもやっぱり死んでいるだろうという結論に。

 

今回の話はこれだけといえばこれだけなので、主軸となる部分はあまり進んでいない。

 

副主軸:シャーロックの人間性と合理性の「綱引き」

むしろ今回はこっちがメインと言ってもいいかもしれない。

そもそもシャーロックはなぜモリアーティの生死を考察するにあたって、100年以上も昔の事件を持ちだしてきたのか。
ヴィクトリア時代を舞台にして作ってみたかったというメタ的な理由はおいといて)

「死んだと思わせて実は生きていたけどやっぱり死んでいた」事件なんてあそこまでさかのぼらなくてもあるだろう。

あの事件をチョイスしたのは今まで切り捨ててきたものへのシャーロックの罪悪感の現れではなかろうか。
だから女性たちが自分を責める者=敵に見える。

 

「罪悪感」なんて、初期のシャーロックには似合わない言葉だった。

人間性は捨てるべきと言われて育ち、実際にそう努めてきたシャーロックが、S1からのあれこれでそこがぶれつつあるのかもしれない。

だからこそ合理性によって切り捨ててきた感情(ここでは特に女性に対するもの)が立ち現れた。

 

シャーロックの人格形成に最も強く影響したのはマイクロフトであることは間違いない。
もちろん今も彼の強い影響下にある。

そこに変化をもたらしたのがジョンとジム。

 

今更言うことではないだろうが、ジョンは決して「一般人代表」ではない。シャーロックの世界に平然と適応できるジョンは、かなり一般人から逸脱している。価値観も倫理観も。

ただしジョンは切り捨てない。

シャーロックが切り捨ててきたものを彼は切り捨てない。

 

一方ジムはシャーロックの性質にかなり近い。価値観も倫理観も。

彼はあっさりと切り捨てる。

マイクロフトがいなければ、ジョンと出会う前にシャーロックがジムの立場になっていてもおかしくなかった。

 

そしてシャーロックはジョン(の気持ち)を切り捨てることができる人だった。

少なくともS3冒頭までは。だからシャーロックの死(仮)に悲しむジョンを置いて一人で海外に行ってしまったわけだ。

ひょっとしたら、今はその無頓着さに綻びが生まれているのかもしれない。

 

ライヘンバッハシーン=ある種の「綱引き」

あの印象的なライヘンバッハシーン(ちなみにこの単語、マイクロフトはドイツ語読み、ジョンは英語読みしていた)、最初はシャーロックの深層にウイルスとしてのジムがいて、ウイルスバスターとしてのジョンがいるのかと思った。

だがジムはジョンによって滝の下、つまりシャーロックが目覚める先と同じところに落とされた。

見方によってはシャーロックがジムのあとを追ったとも言える。

最後にはジョンだけが滝に残された。一人佇むジョンのシルエットのカットは意味ありげな長さがあった。

あの場の勝者は誰なのか。今の時点でははっきりしない。

 

そもそも「滝の下」とは何を意味するのだろうか。

一般的には意識の覚醒は「浮上」のイメージで捉えられることが多いはず。多くの映像作品でもそのように表現されている。
繰り返される "deep" という語からもわかるように、この話はどんどん深いところに降りていく構成である。

だから最後には「浮上」があるのだと思っていたのに、最後にさらに「落下」があったから驚いた。

 

landing について

古今東西の往還タイプの物語において、難関とされるのは landing、つまりもとの位置に還る部分だ。

これまでの物語を主人公がどう受け入れるのか、物語を踏まえて主人公がどう成長したのか(あるいはするのか)がここで示される。

今回の話では landing にあたる部分があっというまに終わってしまった。
「モリアーティは死んでいる」という結論だけを得て。

わたしが気になるのは、副主軸として語られた「綱引き」をシャーロックがどう受容するかという点だ。
それがS4でしっかりと語られるなら嬉しい。

 

行く末は二つ示唆されている。

一つは自分の中のジムをジョンとともに乗り越えて、ジムとは(そしてマイクロフトとも)別の存在になっていく物語。いわゆるアウフヘーベンである。
(というかこれが王道というか、この作品のテーマだと思っている)

もう一つは landing に失敗する可能性。
ジムはシャーロックに「死ぬのは落下ではなく着地によって」であると言った(というところをシャーロック自身が想像しているので、つまりシャーロックにはその自覚がある)。

「ライヘンバッハからの着地失敗」は何を意味するか。
これは「主人公が物語を受容できない」状態にあたると考えられる。
「綱引き」のたとえでいうならば、どちらかの勝利ではなく綱が切れてしまう状態。

ジョンもジムもそれ以外の存在になることも受け入れられなければ、おそらく彼は死んでしまう。
ジムはその可能性を示唆していたように思う。

 

S4への期待

今回はいろいろな意味でS4の予告編みたいなものだったから、これを踏まえてつくられるであろうS4に期待が高まる。

シャーロックについてはまだまだ語りたいこともあるので、また見直した折にでも書いてみたい。