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「ブレイキングバッド」印象に残ったシーンランキング

本日はブレイキングバッドを振り返って、わたしの印象に残ったシーン(だったり一話全体だったりの)ランキングとそれに関するちょっとした考察をまとめておこうという企画。

全編ネタバレ全開。

 

「ブレイキング・バッド Breaking Bad」記事目次はこちら

 

  

 第五位 Who are you?

 

ハンクがウォルターの正体に気付いた後の対決シーン。

それまでウォルターにある程度の敬意は払いつつもどこか格下に見ていたウォルターの正体がハイゼンベルクだと確信し、ハンクは自身がこれまで築いてきた世界観が崩壊するほどのショックを受けたと思われる。

「お前は誰なんだ」は、いい台詞というよりはここで入れなければいけない台詞。
状況とハンクの心情を端的に表している。

またDEAに勤める自分の身内に麻薬関係者がいたとなれば、自分のキャリアもおしまい。その覚悟も決めていたはず。
互いに自分のすべてを賭けてそこに立っていると気付いて殴りあったとき、初めてハンクとウォルターは対等な関係になることができた

(それまであの家の実質的な家長はハンクであり、家族の中の力関係で言えばハンク>ウォルターだった。しかしウォルターはハンクがハイゼンベルクを追っていることを知りながらその正体についてはもちろん黙っており、その点で言えばハンク<ウォルターという力関係だった。いずれにしても二人の関係はその時点まで平等ではなかった。対立を明確にして初めて対等になれるという展開は、悲しくも熱い)

 

 

第四位 ラストシーン

 

 

初見時、ウォルターがブルーメス精製の機材を撫でるところで涙腺が崩壊した。

彼にとってメス精製(≒化学の知識)は、かつて失った栄光、失った青春、自由、誇りなどの象徴であり、決して自分を裏切らないパートナーであり、愛すべき子供のようでもあったのだろう。
そのことがあの一瞬の表情(というより手つき)で伝わった。

登場人物の誰のことも100%信じることはできないあの世界において、ウォルターが唯一信じることができたのは、自身の化学への愛と情熱だった
第一話からずっと、形を変えながらもウォルターのそばにあり続けたメス精製のお供。彼の最期に「彼ら」がいたことを、わたしは幸福だと思った。

やりたいこと、やるべきことをやりきった満足感と、パートナーとともにあることができる幸せ。彼はそれまで持っていたものはすべて失ったかもしれないが、逆にそれまでの人生で望んでも手に入らなかったもの(生の充実感と本当に信頼できるパートナー)は奪われることはなかった。

あのエンディングはウォルター/ハイゼンベルクの勝ち逃げだったと感じる。

そしてこの結末を「勝ち」と感じてしまう自分自身の価値観の汚染に気付いたとき、視聴者は身震いするのだ。

 

 

第三位 ハエ回

ウォルターの感覚のずれの発露と、それに怯えるジェシーの対比が素晴らしい、コメディの皮をかぶった狂気の神回。

第四位のところで触れたように、メスラボがウォルターにとって誇りであり信頼できるパートナーであり子供のようなものであったとすれば、彼の言う「ラボの汚染」とは何を意味するのか。

ひとつには、かつて失った栄光、失った青春、自由、誇りなどの象徴であったはずのメス精製が、ガスの監視下に怯えながら「やらされる」ものになってしまったこと。
初めてメス精製に手を出したときのわくわく感はすでになく、自由や開放感といった自分の望んだものからはほど遠い、圧迫された現状

もうひとつは、この回の中でウォルター自身の口から語られる後悔
「あのとき死んでいればよかった」
これ以上ない後悔の言葉だ。
自由や誇りが後悔によって汚染された状態。
そのほかにもスカイラーとの関係やハンクの怪我などいろいろ不安要素はあるが、そういう状況も含めて、この時点では「後悔」という言葉でおおよそ集約できそうだ。

ウォルターが叩きのめそうとしているのはこの二つの状態である。

ガスからの抑圧を排したいという欲求はこの後発露する。
そして後悔は、遅くともS5開始時点でほぼ忘れ去られている。

ウォルターはハエを退治し、ラボの汚染を取り除いたのだ。
S5でハエを目撃したとき、もはや彼はそれを追おうともしない。そのときの彼の「ラボ」は「汚染」されていないからだ。

 

 

第二位 ABQ

このドラマに本気で突き落とされた回
それまでシチュエーションコメディ的な成分が多分に含まれていて、個人的には少し退屈していたところもあったのだが、この回を見てそれまでのエピソードの受け止め方もかなり変化したし、ここからはノンストップで手に汗握りながら一気に最終話まで見ることになった。

 

「そこまでやるのか」

初見時の感想はこれだった。

死に直面した一市民が「家族のため」(と言い訳しながら)やり始めたことが、ここまでの「報い」を受けるのか、と。

飛行機墜落はドラマ全体から見ると、前半でいちばんの山場である。
また一度の死者数も全体でいちばん多い。

ある意味でこのエピソードは、製作者側の覚悟を示す役割も果たしていた。
ここまでの事態を引き起こした主人公に、ハッピーエンドなどありえない。
ここまでの事態とバランスをとれるだけの結末をウォルター/ハイゼンベルクに用意しなければならない

となれば、この飛行機事故について感じる罪悪感の何倍もの不幸がウォルターを襲うはず。
前半で「ここまでやった」ドラマは「どこまでやる」のだろうかという期待と不安は、ドラマに大きな推進力と訴求力を生んだ。

そして実際、このエピソードは後々までウォルター/ハイゼンベルクのキャラクター造形に大きな影響を与え、この事件とバランスがとれるだけの結末を彼にもたらしたように思える。

 

またS2では、オープニングクレジットの前に何度かこの事故の後にあたる場面が挿入されていた。

初見時は、ウォルターの家で取り返しのつかない事件が起こって、家族の誰かが死んだのかと見事にミスリードされた。

いろいろと嫌な予感がかきたてられる「予告」にはなっていたが、視聴者のどんな予想よりも悪い事態だったのではないだろうか。

そういった構成の妙も含めて、このエピソードには度肝を抜かれた。

 

 

第一位 スズラン

 

S4のラストを見ていたとき、わたしは布団の中だった。
すでに電灯も消し、布団に潜ってから「あと一話だけ見よう」とiPadでhuluを立ち上げて見た。
スズランのアップからのエンディングを目にして、恐怖で歯がガチガチ鳴っていたことを覚えている。

S2のラストで製作者に対して「そこまでやるのか」と感じたが、S4のラストでもそれに近いことを思った。ただしS2のときの何十倍も恐怖を伴って。

ジェシーがウォルターに詰め寄るシーンを見た時点で、これはウォルターが仕組んだことだということはわかった。視聴者の8割くらいは少なくともそれを予感できるだろう。
だから犯人がウォルターだったこと自体にそこまで驚いたわけではない。

わたしはあの見せ方に恐怖した

スカイラーへの短い勝利宣言。そのときの彼の「仕事を成し遂げた」表情。
あのときのウォルターは「家族を守りきることができた」ということしか考えていなかった。
罪悪感も後悔も不安も見えなかった。

その場面から、真相を無言ながら容赦なく突きつけてくるあの尺をたっぷりとったスズランのラストシーンへの流れ。
まるで「この真相を信じたくないって? スカイラーみたいなことを言うんだね? でもこれが真実だよ。君の応援していた主人公はこんな男なんだよ。これだけしっかり写せば誤解の余地はないよね? 愚かな君にも理解できたね?」と製作者に詰め寄られているような。

 

S2のラストのウォルターは、視聴者と一緒に驚愕し、追い詰められてくれた。
でも今のウォルターはもう、自分が引き金となった死に追い詰められてさえいない

さらにあの一連のシーンからは、子供を殺しかけガスを殺したのはハイゼンベルク」ではなく「ウォルター」であるということが読み取れる(以前の記事でウォルターとハイゼンベルクの重なり方について触れたので、こういったわけ方をするのは不本意なのだが、あえてこう書いてみた)。

わたしはこれらを理解して心底打ちのめされた。

 

同時に、この結末はS5の予告にもなっている。
最強の敵だったガスを倒した今、物語における最強の悪はウォルター自身なのだと。

 

 

以上、三位以下は自分の中で差はないが、一位と二位は不動。

とはいえブレイキングバッドの魅力は、個々のシーンが他のシーンと密接に関係し切り離せないというところにもあったりするので、どのシーンがいちばんなどという考察にあまり意味はないようにも思うのだが……とセルフちゃぶ台がえしをしておいて、

on that bombshell, it's  time to end.