なぜ面白いのか

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ヴァラー・モルグリス「ゲームオブスローンズ」キャラ語り03

 本日もゲームオブスローンズ、S1でお亡くなりになった方々について好き放題キャラ語り。

ドラマ中心。S4までのネタバレあり。原作1巻ネタも少しあり。

ワシントンポスト紙のこのページを見ながら書いている。リンク先、S1から始まって下に行くほど最新のネタバレになっていくので、勢い余らないよう注意。わたしもそろりそろりとスクロールしている。

www.washingtonpost.com

 

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カール・ドロゴ

好感度うなぎのぼりタイプ。

視聴者はデナーリスの視点から彼を見ているため、彼女からドロゴへの愛情が増すと我々からの好感度も基本的には比例することになる。

そして、好感度が上がった先で死ぬ。

(好感度曲線はオベリンと似たタイプかもしれない)

デナーリスがドロゴを「私のお日さま、お星さま」と呼び、ドロゴが彼女を「我が命の月」と呼ぶのが好きだった。ドスラク語もいい。

 

彼の死に、魔法使いミリ(こう書くと萌えキャラっぽい)はどこまで関与していたのか。

最初は確かに「正しい手当て」をしていたのだろう。

ドロゴ自身が勝手に薬をはがしたり、酒を飲んだり、無理をして馬に乗ったりしなければ普通に助かったようにも思える(あの世界であそこで助かるのが幸せなのかどうかはともかく)。

傷が悪化して手の施しようがなくなったのを見て、ミリはあの魔法を使うことにしたのだろう。

 

ミリはドロゴの馬だけでなく子供の命も犠牲にすることまで織り込み済みのような言動だった。

そしてそのことをデナーリスも薄々察していたはずだと。

(今そのシーンを見直すと、ミリがデナーリスの息子の体の中は「full of gray worms」だったと言ってて、灰色の蛆虫ことグレイワームさんがこんなところに!? と思ってしまった)

わたしも、デナーリスはほかの何を犠牲にしてもドロゴを助けようとしていたと感じる。

ドロゴが彼女に与えたのは自我であり、自尊心である。ある意味で彼女を真に「ターガリエン」として目覚めさせたのはドロゴだっただろう(ヴィセーリスはむしろこれらを奪っていた)。

そしてドロゴとその息子レーゴ(この名前はデナーリスの兄レーガー・ターガリエンから来ているようだ。そして今はそれが彼女のドラゴンの名前に)が彼女を「ドラゴンの母」にするというのは不思議なめぐりあわせ。夫と子供を失うことで、彼女は「母性」に目覚めた。

 

そう、「母性」である。

デナーリスパートは「母性」の体現。これがこの物語の「」である。

そして「父性」を表すのは、前回述べたとおり「スターク」だ。

(最初はエダードが「父性」の体現者だったが、その死後その父性的性質は彼らの子供たちに受け継がれているように思う)

これがこの物語の「」である。

原作のタイトル「氷と炎の歌」とは、北部と南部の対立でもあり、長い冬と夏という (我々から見ると)異常な気象のことを言っているようでもあり、ホワイトウォーカーとドラゴンの対決(最終的にはその決戦が見られるのだろうか)でもあり、父性と母性のせめぎあいでもあるのではないかとわたしは見ている。

 

だとすれば、いずれ氷と炎は雪解け、すなわち春という「子供」を生むのだろうか?

七王国の玉座を制するのが誰なのかはまったく予想できないが(そもそもリトルフィンガーが国家転覆させそうだし)、ウェスタロスに一年周期の四季ができて終わる結末になったらいいなあと思っている。

 

 

シリオ・フォレル

彼は本当に亡くなってしまったのだろうか。

いつでも帰ってきていいから!!!

あの訛り口調と語り口が大好きだったので、退場は悲しかった。

出番は短かったが強烈に印象を残していったキャラだった。

 

印象が強烈になった原因のひとつは、アリアが今も彼の教えとスタイルを守っていることだろう。

彼女の動きが、口にする言葉が、今も視聴者にシリオを思いださせる。

「教育」とはそういうことかもしれないなどと思ったりする。

 

but not today(だがまだ死なぬ)」はその後、アリア以外もときどき口にしており、この物語の主要テーマの一つであるようにも思う。とはいえ、死ぬときはあっさり死んでしまうドラマなのだが。

ssayu.hatenablog.com