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なぜ面白いのか

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懐かしさと新鮮さを同時に「刑事コロンボ」感想

中学時代にいちばんはまったドラマは「古畑任三郎」だった。「アクチノバシラスアクチノミセテムコミタンス」をいまだに何も見ずに言えるといえば、どれくらいはまっていたかわかるだろう。

刑事コロンボ」はそれよりさらに前に、親が見ていた再放送を一緒に見ていた記憶がある。

そんなわけで、最近はわたしにとって懐かしのドラマ「刑事コロンボ」を見ている。

大人になってから見直すと新たな発見があって面白いし、よく練られたシナリオだったことがよくわかる。

今日はHuluにあるS2の途中まで見た感想。

 

 

 

「うちのかみさんがね……」

いつものようにドラマは字幕で見ているわけだが(というかHuluの「コロンボ」には吹き替え版がない?)、いちばんの衝撃は、吹き替え版コロンボの代名詞ともいうべき「うちのかみさんがね……」というセリフ。当然のことではあるが、これは英語だとただの「my wife」なのである。

この「my wife」を「うちのかみさん」と訳した最初の翻訳家に最大限の賛辞を贈りたい。

自分ならそんな訳をひねりだせるだろうか? 無理である。

ほとんどの日本人にとって、「コロンボ」と「うちのかみさん」は切っても切り離せないキーワードではなかろうか。それだけこの訳はコロンボのキャラに合っていたし、もはやほかの訳など考えられない。字幕では「私の妻が……」となっていることがあるが、違和感がすさまじい。

優れた翻訳家と声優の仕事によって、ひょっとしたらもとの脚本や役者が想定していないほどのインパクトが作り出されていたのかもしれない。字幕版を見ることで、それを改めて思わされた。

 

字幕版の面白さ

一方字幕版もこれはこれで新鮮である。

コロンボはこんな英語を話していたのか、なるほどこりゃうざい、という印象だ。

昨今の刑事ドラマとは違いF-wordを連発するなどということはないが(これまで見ていたものがひどかったので、心身ともに浄化されていく気分だ)、あまりお上品な話し方というわけでもない。特に「コロンボ」は犯人が上流階級の人間であることが多いため、彼らの話し方との対比が面白い。

 

しかし毎分ごとにF-wordの出る心配のないドラマを見るのは「ダウントン・アビー」以来ではないだろうか。落差が激しすぎる(とはいえ先日「デッドプール」を見てきたため、浄化も台無しになった)。

また内臓が出る心配のないドラマを見るのも久しぶりである。

まあ毎回死人は出るのだが。

 

70年代のアメリカ

ある意味でわたしはこのドラマを「時代劇」のつもりで見ている。

携帯電話やメールの登場しないドラマは、わたしの中ではもうすべて「時代劇」扱いだ。

そして、そのつもりで見るとまたいろいろと面白いのである。

 

まず先ほど「内臓が出る心配がない」と書いたが、そもそも血がほとんど出ない。

これには驚いた。今のところ凶器は銃というパターンが多い印象だが(これもアメリカらしい)、被害者の至近距離から銃をぶっぱなした犯人が返り血すら浴びないのだ。

当時のドラマ界における規制は今より厳しかったのだろう。

 

ただし、現代目線で少しつっこみたくなる部分はある。

規制が厳しいのは理解できるが、その前提を犯行計画に組み込むのはどうだろうか。

「構想の死角」の犯人よ、犯行現場のソファをビニールで覆ったのは結構だが、どう考えても床にも血が飛び散るだろう。

また「二枚のドガの絵」の犯人よ、死体を包んだ毛布にも血がつくだろう。

そのほかの犯人も全体的に返り血や犯行現場に残る血痕に無頓着すぎるという気はする。

ひょっとするとこれが当時のリアルな感覚だったのかもしれないし、「ルミノール試薬」などの言葉もまだ今ほど知られていなかったのかもしれない。

このあたりは野暮なつっこみというものなのだろう。

もしこんな描写を鵜呑みにして現実世界での犯行に及んだ者がいたとすれば、順当に捕まったはずで、めでたいことである。

 

それから喫煙描写。

コロンボはどこでも葉巻を吸う。

初めて訪れた被害者の家でいきなり喫煙、体育館で喫煙、証拠品を前に喫煙とやりたい放題だ。今なら考えられない。

ただしこれも現代人の感覚だ。

もしかすると喫煙シーンに規制がかかる国では「コロンボ」を放送できないのだろうか?

だとしたら大きな損失である。

 

また登場する車がどれもこれも(当然ながら)1960年代のアメ車である。まだ「プライウス」などは存在しない世界なのだ。

わたしは犯人が車で犯行に出かけるのを見るたびに「おいやめろ、そんな目立つアメ車でうろつけば目撃者の記憶に一か月は残るぞ!」と焦ってしまうのだが、実際にはまわりもそんなアメ車だらけなので特に目立つわけではない。

このあたりは「時代劇」かつ「海外ドラマ」ならではの楽しさだ。

 

コロンボのキャラクター

子供の頃見ていたときは吹き替えの独特の話し方くらいしか印象に残ってなかったのだが、今見るとあのキャラクターは非常に強烈だ。

まずあの髪型はまっとうな公務員には見えないし、「ロサンゼルス」で一年中レインコートというのも理解できないし、どこでも葉巻を吹かすし、持ち歩くお金が少なすぎるし、何よりもあのプジョー403カブリオレ

あの芸術的なポンコツぶり。Top Gearの激安チャレンジでさえ、あそこまでのものは稀である。よく動くな、あれ!

事件現場にあの車で行ってたびたび追い返されそうになるのも無理はない。

コロンボはあれだけ活躍しているのだから、警察上層部は新車を買うくらいのボーナスは出すべきだしかみさんも許可してあげてほしい。いや、やはりあのプジョーあってのコロンボだから、買い替えないでほしい。

子供の頃のわたしは車なんて「トラック」「バン」「それ以外」くらいの見分けしかついていなかったのだから、あのプジョーにそんなキャラクター性を見出すなど無理な話だった。

どんな分野であっても知識が増えれば増えただけ、世の中の面白いことは増えるのだ。

 

お気に入りの話

先ほどはつっこみを入れたが、今のところわたしのお気に入りは「構想の死角」と「二枚のドガの絵」、「アリバイのダイヤル」である。

「構想の死角」は、あの素晴らしいトリックは被害者が考えたものなのだろうと思わせておいて、実はあれだけは犯人が考えたものだったという点が本当にツボ。あの点だけでもうあの話は傑作だと思う。コロンボが見切れなかった数少ない犯人の一人だ。

「二枚のドガの絵」は「証拠」の出し方が最高に好み。あのように探偵役が自分でも気づかないうちに「証拠」を「作って」しまう状況がわたしのツボなのだと思われる。

古畑任三郎」でも「最後の事件」(S1)が好きだったし。

「最後の事件」とさらに似ているのが「アリバイのダイヤル」で(というか三谷幸喜コロンボを参考にしながら古畑を作っているはずで、これは逆にするべきか)、要するに不在証明の仕方がツボ。

「その場にあってはいけない音」は録音を何度聞いても存在しなかったが、「その場にあるはずの音がなかった」というパターン。今ではベタな部類の展開かもしれないが、小さい頃に形作られた「好きなミステリィのツボ」は少々のことでは変えられないのである。

 

刑事コロンボ」はHuluにまだまだたくさんあるので当分楽しめそうだ。

それが終わったら「TRUE DETECTIVE」S2を見て、あと「The Sopranos」とか「SUITS」とか「クリミナルマインド」も見たいし……