わたしは「この作品を見よう」と決めたら、トレイラーの類を一切遮断するタイプの人間だ。
映画もドラマもゲームも同じである。
時として「それがどんなジャンルの作品か」という話題自体がネタバレになってしまう作品がある。「どんなキャラクターが登場するか」も同様だ。特にゲームにおいては「仲間キャラ」の情報を購入前に知ってしまうと、登場した時点で敵か味方かわかってしまって面白さが減ってしまう。
そして「どんなジャンルに分類されるかもわからず、知っているのはタイトルだけという状態で見た方が面白い作品」というのは確かに存在する。
「キングスマン」とはそういう作品の一つだ。
だから万一もしこれからこの作品を見ようという人がこの記事を開こうとしているのなら、すぐにブラウザバックしてほしい。これから作品を見るまで一切の情報を遮断し、鑑賞に臨んでほしい。
以下、ネタバレ全開感想。
ガラハド無双
いろいろと見どころのある映画ではあったが、見終わった後いちばん鮮烈に頭に残ったのは、やはりガラハド無双のシーン。
非戦闘員相手にあれだけ一騎当千の活躍を見せるシーンはそうそう思いつかない。
しかも一見するとワンカットの長回しのように見える戦闘シーンだった(特典映像で解説されてもどこでカットしたかほとんどわからない!)。
ガラハドの洗練された動きが次第に荒くなっていき、銃のリロードもやめて原始的な戦い方になり、髪が乱れ、スーツも乱れていく。
すごかった。本当に。
とにかくこの映画はコリン・ファースにガラハド役をやらせた点がいちばんの功績だ。
あまり多くの映画を見ていないわたしにとって、彼はもっぱら「英国王」のイメージだった。
ジョージ6世が! ケンタッキーの! 教会(しかもプロテスタントの)で! 銃乱射!!
多かれ少なかれ「そういう意味」でこのシーンに驚愕した視聴者はいただろうし、作り手もまたそれを意識していただろう。
落ち着いた紳士然とした役のイメージのある彼が、そのイメージの外見のままに荒唐無稽なスパイ映画で華麗なアクションを披露する。それがこんなにも刺激的で面白いなんて。
特典映像で共同脚本家がコリンの配役を「utterly perfect」と評していたが、まったくその通りである。
インタビューでコリンは、この役のことを「子供の頃演じてみたいと思っていたヒーロー像」だと述べていた。
彼がこれだけキャリアを積んで役者としてのイメージも確立した後で、しかもこの年齢で夢をかなえられたことは、面白いめぐり合わせだし素敵な話だと思う。
「正統派スパイ映画」とは異なる楽しみ方
冒頭で、わたしはこの作品のトレイラーを一度も見ずに作品を見たと書いた。
一応「スパイ映画」に分類されるものという程度の情報は入ってきていたが、それがボンドフィルム系なのか、「コードネームU.N.C.L.E.」みたいなのか(こっちも好きだ)、それとも、という点はまったく知らなかった。というか普通にボンドフィルム系だと思って見始めた。
ところが冒頭からさくっと人が真っ二つになるし、「名探偵コナン」みたいなガジェットは出るし、挙句のはてにあの花火である。
イギリスを舞台にした新作正統派スパイ映画なのかと思っていたわたしの期待は「威風堂々」第一番とともに木っ端みじんに吹っ飛んだ。
こういう「裏切り」は大歓迎である。
わたしは目に入るものを何でも「分類」し、脳内フォルダに片っ端から放り込んでいくという癖があるが、同時に「容易に分類できないもの」「分類先に困るもの」「分類先が間違っていたことにあとで気づくもの」が大好きだ(「ブレイキングバッド」などもこれにあたる)。
「キングスマン」はまさに「分類先がまったく違っていたことにあとで気づいて爆笑できるもの」だった。
しかしこの映画を映画館で見ていたら、どうリアクションしていいかわからなかったところだ。
より正確に言えば、爆笑したいところで「ここで爆笑するのは不謹慎だろうか?」と自制してむずむずしていたところだ。
幸いにも自宅で一人で見ていたため、遠慮なく噴き出すことができた。
アメリカの映画館では「威風堂々」に笑いが起こっただろうか? イギリスでは? 日本では遠慮してしまう人が多いような気がする。
マイフェアレディ
わたしは「マイフェアレディ」タイプの作品が大好きだ。
今作も次第に洗練されていくエグジーと、それを見守るハリーの関係がすごく好きだった。
父親のいないエグジーにとって、ハリーは父のように感じられたことだろう。
(ちなみにわたし一押しの「マイフェアレディ」タイプの物語は、大須賀めぐみの漫画「Waltz」である。「キングスマン」が気に入る人であればきっとこちらも楽しめるはずだ)
そして同時に、わたしは「世代交代」をテーマとする話も好きだ。
これは若者が成長し一人前になり、「父親」を超えていく話でもある。
映画のオープニングとエンディングに、どちらもカセットデッキのアップが挿入されている。
オープニングで映るカセットは左に回転し、エンディングでは右に回転する。
「A面とB面」はそれぞれハリーとエグジーという二人の「ガラハド」を指すのだろう。
同じタイプの服装。同じ武器。同じ言葉。A面からB面へ、「ガラハド」は歌い続けるのだ。