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愛する者の死に耐えられるか「ハンニバル」キャラ語り02

今日ふとブログのアクセス解析を見たところ普段の5倍くらいのアクセス数があり「炎上してる!?」と焦ったのだが、どうやら昨日書いた「ハンニバル」レシピ本記事がTwitterで話題になっていたらしい。炎上してなくてよかった。せっかくなのでキャラ語りの続きを書いてみることにしよう。

以下、S3までのネタバレ注意。「ハンニバル」関連記事目次はこちら

 

ベラ(フィリス・クロフォード)

前回のキャラ語りではフランクリンを取り上げたが、今日はジャック・クロフォードの妻、ベラについて。

彼女もまた、存在しなくても一応本編は成り立つというキャラである。ではなぜ彼女は作られたのか。なぜあれだけ時間をかけて、死に至る彼女の姿を丁寧に描いたのか。自分でもまだはっきりした答えは出ていないが、少し考えてみたい。

 

生かされる例外

ベラはレクター博士に「生かされた」人物である。博士に生かされた人物はほかにもいる。ウィル、アラーナ、ジャック、メイスン、チルトン……S3で生きている人物は、ほぼ博士によって「生かされた」人たちだ。

彼女が特殊なのは、博士が手を下すまでもなくもうすぐ病気で死んでしまう点。博士は「病気の肉」に対しては食欲がわかないのかもしれない。ただ相手が「無礼な豚」であれば、食欲とは関係なく殺す場合もあるのがハンニバル・レクターという人物だ。フランクリンを見よ。すぐに料理に取りかかれそうにないシチュエーションだったのに、トバイアスに先んじて殺していた。

もう一つの特殊性は、彼女が死を受け入れていた点。ひょっとすると博士の前にそんな人が現れたのは初めてだったのかもしれない。レクター博士は外科医だった頃ERにいたそうだから、末期がんの患者、死を受け入れた患者をゆっくり診た経験はほとんどないと思われる。また博士の獲物たちも、基本的には死を受け入れてなどいなかっただろう。

しかしレクター博士が人を殺すのは相手が苦しむのを見るためではなく、食べるためだ。肉の新鮮さを保つためにも、下手に苦しめたりせず仕事は手早くすませる。そんな博士のことだから、相手が死を受け入れていたとしても、つまり抵抗したり命乞いしたりする姿を見せなくても、それを理由に「生かす」選択をするとは限らない。ベラは特殊な立場にあったが、その立場は必ずしも博士がベラを殺さない理由にはならないような気がしてきた。

 

「愛する者の死」という概念

ではなぜベラが生かされたのか考えてみると、やはり「ジャックの妻」だからではないかと思えてきた。博士によってベラが生かされたことで、ジャックはベラと過ごす「最後の時間」を少し延長することができた(それ自体コイントスの結果の気まぐれだったわけだが、そんな可能性を博士が検討したということがすでにかなりの例外である)。それによってどんな事態が生まれたか。

博士は「愛する者が死にゆくところを見ていることしかできない男」というものをじっくり観察してみたかったのではないだろうか。つまりそれは、いずれ訪れるであろうウィルとの別れのシミュレーションではなかっただろうか。それはちょっと発想が飛びすぎではないかと自分でも思うので、もう少し検討してみたい。

 

S2後半、博士はウィルとアビゲイルと一緒に逃亡するシナリオを描いていた。しかしどんなにがんばっても「いつまでも幸せに暮らしました」とはいかないだろう。順当にいけば年上の博士から亡くなるだろうし、ウィルやアビゲイルが先に死ぬ可能性もある。自分はそれに耐えられるだろうか。またウィルは自分を失うことに耐えられるだろうか。

S3で博士は「君と一生一緒にいることになってもこの時間を思い出す」ととんでもない口説き文句を世に放ったが、ここからわかるのはやはり博士は「ウィルとずっと一緒に暮らす」可能性を検討していたということだ。「死が二人を分かつまで」である。で、常に死のそばにいる博士としては、「死が二人を分かつ」ことも検討せずにはいられなかった。

レクター博士はベラを生かすことで、ジャックがどんな行動に出るか観察していた。ある程度観察していれば、その後の展開は予想できただろう。二点が決定すれば直線は描けるのだから。

結果として、ジャックはベラを自分の手で殺す決断を下した。もう時間の問題という段階にあって、愛する人をせめてこれ以上は苦しませず、自分で看取りたいという感情。博士はそれに触れてみたかった、というのがわたしの解釈だ。博士はそれを正確に予想し、ベラの葬式に手紙を送っている。

 

要は、ベラは「愛する者の死」という概念を博士に投与するために必要だったのではなかろうか。トバイアス+フランクリンが博士に「友情」の概念を投与し、その次の段階としてベラ+ジャックが「愛」と「愛する者の死」の概念を投与した。それらを摂取することで、博士はウィルとの関係を進めていったわけである。

 

その結果

博士が「愛」と「愛する者の死」の概念を摂取した結果、つまりベラの死後、何が起こったかというと、「ジャックが君の頭を覗こうと提案した(キュイーン)」である。

ここのシーン、なぜ博士がこんな行動に出たのかいまいち理解できなかったのだが(第一に「警察にばれたから逃げる」という理由があったとしても、わざわざウィルを殺さずにさっさと逃げてもよさそうなものだ)、もしかしてジャックがベラにしたことと同じだったりするのかもしれない。あの行動の理由はもちろん一つではないだろう。理由の一つにそれが含まれないかと思っているのである。

博士はウィルとのさまざまな未来を見通し(「未来と過去の違いはどこから来る?」なんてウィルに尋ねている)、それらをすべて記憶の宮殿に保管した。もうすでに、記憶の宮殿でウィルと永遠を過ごす用意は整った。それなら、自分の見ていないところでウィルが死ぬ可能性に怯え続けるよりは、自分の手で、自分の目の前で殺して、その光景も記憶の宮殿に飾っておく方が良い――くらいのことは、博士なら考えてもおかしくない。

メイスンからウィルを助けたのは、彼が自分以外の者の手にかかって死ぬなんてもってのほかだから。ウィルを助けてグレアム家に帰った後、博士は改めて「カップと時間と混沌の法則について話そう」と尋ねている。この問いは、この世界でウィルと永遠を過ごすか、それとも記憶の宮殿で過ごすかを尋ねる意味もある。博士にとってそこに大きな違いはない。しかしまるで自分の家のようにくつろいでいた博士に対し、ウィルの返事はあまりに冷たかった。

「犬たちが恋しい。あなたは恋しくない」

命の恩人に対して犬以下扱いとはあんまりである(まあウィルの中で犬の地位は非常に高いと思われるが、それにしても)。その後の博士のあまりにもショックを受けた顔が悲しい。

「あなたを探す気もない。あなたについて考えたくない」

これ以上ないほどの拒絶の言葉。

そりゃ頭の中を見ようとした(物理)のもちょっとは悪かったよ? でもほとんど不可分のはずの半身にそんなこと言われたら、ショックを受けるのも仕方なくない? FBIが来るまで数時間(ウィルの家を出ていくときは明るかったが、FBIが来たときはもう真っ暗)、雪の中、ウィルの家の裏で呆然と立ち尽くしていても仕方なくない?

…とわたしの脳内の博士が仰っているのだが、博士のあの今にも泣き出しそうな絶望顔は、生まれて初めての失恋だったのだろうと思うと無理もない。

その後の博士が、ウィルに自分を追わせるために投降したのは周知のとおり。「ウィルに自分を追わせるため」という目的はS2の結末と同じでも、とった行動は逆である。「これ以外に道はない」と思わせることで他人を操ってきた博士だが、彼もまた「これ以外に道はない」と考えたのだろう。壮大なラブストーリーである。

 

ベラ以外のことを語りすぎた気もするが、「ハンニバル」というドラマは群像劇ではなく、あくまでハンニバルとウィルを中心にした物語なので、誰について語っても結局はこの二人の関係に行きつくことになりそうだ。

先に書いたようにベラに関してまだ自分の中できちんと結論が出せていないのだが、こうして書いてみることで少し整理できた気がする。また自分の中で更新されることがあれば何か書いてみたい。

 

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