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魔か自然災害か笑顔が素敵な殺人鬼か「ファーゴ(ドラマ)」感想

  

ドラマ版「ファーゴ」が面白いと聞き、映画版→ドラマ版の順で見てみた(どちらも現在huluで視聴可能である)。

どちらもブラックユーモアにあふれており、序盤はいったいどんなテンションで向き合えばいいのかわからなかったのだが、後半は怒涛の展開で一気見してしまった。

 

ドラマ版はこんな人におすすめ

マーティン・フリーマンのリアクション俳優ぶりを堪能したい

・「ブレイキングバッド」にはまった

・小ネタ探しが好き

・「謎の殺し屋」にわくわくする

 

以下は主にドラマ版のネタバレ感想。「ブレイキングバッド」への言及もあり。

 

 

映画絡みの小ネタが楽しい

 映画版「ファーゴ」の探偵役は妊婦の婦警さんである。いわゆる「映画で活躍しそうな名刑事」には見えない。だがこの映画の舞台は雪深い田舎町。「映画で活躍しそうな名刑事」なんていない。

ドラマ版「ファーゴ」にも妊婦さんが登場する。だが彼女は、警察署長の奥さんというポジションだ。探偵役をしそうには見えない。こういう形で映画ネタを入れてくるのかと思っていたら、警察署長が1話目で死亡。夫を失った彼女は無事に子供を産むが、メインストーリーにはあまり絡んでこない。メインの探偵役となるのは女性警官でここは映画と同じなのだが、彼女は独身である。

映画とはキャラのポジションをずらしてあるのだなと納得して見ていると、物語後半で1年たったのち、探偵役が結婚・妊娠した。この展開は予想外だった。やっぱり「ファーゴ」の探偵は妊婦さんでなきゃね!

 

もちろん舞台となる雪景色、雪の上に残る血痕、雪道を走る車など、映画で見おぼえのあるモチーフはそのほかにもたくさん出てくる。

小ネタを探すのが好きな人は、両方を見比べて楽しめるだろう。たとえばドラマ版1話、レスターがサムに絡まれるシーンの背景でにピザ屋の看板が映るのだが、このピザ屋の名前が「NORM'S PIZZA」。ノームといえば、映画版の探偵役マージの旦那さんの名前だ。こんな感じの小ネタがほかにもいろいろ仕込んであると思われる。

 

マーティン・フリーマンがすごい

個人的に、マーティン・フリーマンのリアクション俳優ぶりが最も堪能できるのは「銀河ヒッチハイクガイド」だと思っている。

人類には早すぎる最高にシュールな映画で(しかし最高に面白い)、マーティン・フリーマンはこの映画で唯一、視聴者と同じ視点を持つ人物だ。巻き込まれ型主人公を演じさせたら、彼の右に出る者はそういまいと思わせる素晴らしい演技だった。

で、「ファーゴ」でも最初は彼、つまりマーティン・フリーマン演じるレスターを、巻き込まれ型主人公だと思っていた。実際、彼は巻き込まれた。何かとんでもないものに。

だが後半の彼は決して巻き込まれたわけではない。自分で主体的に行動している。その邪悪な性質を発露させることに、次第にためらいが少なくなっていく。

この変化の演じ分けがすごかった。正直序盤のレスターを見ているときは、もっとかっこいいマーティン・フリーマンが見たいと思ったものだったが、それは全部「変化のための前フリ」だったのである。すべて見終えた今は、彼のはまり役だと思っている。

 

レスターとウォルター/ハイゼンベルク

さえない保険の営業マンが殺し屋と出会うことで人生を変え、悪の道に…とまとめると、「ブレイキングバッド」を思い出す人もいるだろう。レスターとウォルターの違いを考えてみるのも面白い。

二人の違いは、自分の邪悪さに対する自覚の度合いだろうか。

レスターは、本気で自分を「善良な人間」だと思っている。ウォルターも自分の邪悪さに「ハイゼンベルク」と名前をつけて「ウォルター」と分離させることで「善良なウォルター」を守ろうとしていたが、次第にこの境界は曖昧になり、やがてドラマ史に残るような「二重性」を披露していく。

二人の動機の違いを考察するのもいいかと思ったのだが、よく考えてみると二人とも動機は「自己実現」だという気がしてきた。ウォルターは最初は「家族のため」と言っていたが、結局のところ自分でも「自分のため」にやったと認めていた。

レスターは気に入らない人を立て続けに殺すことに成功し(一人は直接自分でやったのではないとしても)、さらに自らの知恵によって気に入らない弟を陥れることにまで成功したことで、ようやく自分自身を一人の「大人」として認めることができるようになった。

 

もしもウォルターが「ブレイキングバッド」第1話でスカイラーを殺していたら、というifを妄想してみると、レスターとのキャラの違いが浮かび上がってきそうだ。

と書いてはみたものの、1-1のウォルターはスカイラーを殺しそうには思えない。子供がいるかどうかという点も、キャラづけにとって重要かもしれない。

 

シリアルキラーなんだけど

ここまでレスターをこのドラマの主役として書いてきたが、このドラマの主役はひょっとしたらマルヴォの方かもしれない。

しかしこれほどつかみどころのない主役も珍しい。彼は文句のつけようのないシリアルキラーであり、殺し屋である。こういった特徴は普通、れっきとした「つかみどころ」のはずだ。

だがわたしは彼に対して「シリアルキラー」だとか「殺し屋」だとかという印象を持てなかった。彼はまるで自然災害のようだった。行動は悪意に満ちているし、画面ごしにも殺意を感じるほどのキャラクターだったのに。

彼は決して無感情なわけではない。自分の命が狙われたときは怒っているように見えたし、耳の聞こえない殺し屋を助けたときは楽しそうに見えた。それに彼の笑顔はとても素敵だ。どんな相手も一発で信用させられるほどに。

なのになぜだか、彼には人が持つような「意思」を感じない。「死神」のようだと言ってもいいかもしれない。「死神」が誰を選ぶのかは人智の及ぶところではないし、「死神」に選ばれた時点で人間は逃れえないのだ(ゆえに、そこから逃れたレスターの行いはある意味で「神殺し」にあたると思われる)。

 

また彼は人を唆して争わせる趣味がある。「趣味」だなんて、まるで人間に対して言うかのような言葉が適切かどうかわからない。これもただの「悪趣味」という印象ではない。彼にそそのかされた人たちは、ちょうど日本語でいうところの「魔が差した」状態になる。

わたしの感じるマルヴォの印象を一言で表すならば、まさにこの「魔が差した」という言い回しの主語としての「魔」だ。西洋的な意味の「悪魔」とも違う、「差す」者としての「魔」だ(日本語の「魔が差す」は自動詞なのが面白い)。

マルヴォは人の心に「差す」ことで、相手に影響する。その最大級の発露がレスターだった。

わたしには、マルヴォをただのシリアルキラーとして見ることはできない。雪国に舞い降りる人外を見ているような気分だ(ラスベガスにも出没していたが)。

なぜそう感じるのか、今ひとつ思いついた。

彼は殺人を行うときには殺意を出さない。しかし殺さないときの彼はおそろしく殺意に満ちている。このずらし方が彼の独特のキャラクターを作っているのかもしれない。

 

この物語でマルヴォは二人の人間によって倒される。一人はレスター、一人はガスだ。「神殺し」を行う英雄的人物は、一人は「魔」に染まった末に勇気を身につけ、もう一人は「善」なるものであろうと葛藤した末に勇気を振り絞ったという対比になっている。レスターの最期はポチャン(遠景)、ガスの結末は一家団欒(「聖家族」的構図)。行ってきたことに対するバランスはうまくとれていると思う。

レスターの最期、第1話からのレスターの行動まとめという感じもして面白かった。自ら薄氷に突っ込んで、ずっと薄氷を踏むような綱渡りで(警察上部が無能でなければさくっと捕まっていたかも)、氷に四方八方からひびが入っていて、氷が自身を支えきれなくなって死亡。そう、これはそんな話だった。

 

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