なぜ面白いのか

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「非日常への」脱出~「極限脱出 9時間9人9の扉」が面白い3つの理由

以前から気になっていた「ZERO ESCAPE」シリーズの2作品がまとめて発売ということで、すぐに買うか少し様子をみるか迷っていたところ、こちらの対談↓と「ダンガンロンパ小高」を読んで、予約することにした。

www.spike-chunsoft.co.jp

わたしがアドベンチャーというジャンルに興味を持ったのは「ダンガンロンパ」がきっかけで(ロンパは正確には「ハイスピード推理アクション」なのでアドベンチャーではないのだけど)、以降「逆転裁判」「428」「STEINS;GATE」などその手のいわゆる「名作」とされる作品を遊ぶようになった。おかげでそれまで知らなかった新しいジャンルの楽しみが増えて、ダンガンロンパさまさまである。

で、その頃にこの「ZERO ESCAPE」シリーズもわたしのアンテナに引っ掛かっていた。が、その当時すでにソフト価格はプレミアがついて高騰、iOS版は脱出パートがカットされているらしく面白味が薄いかと思って手を出さず、続編なら買えそうだがシリーズは1作目からやりたい派(「ダンガンロンパ」みたいに2から始めたら大変なことになるシリーズかもしれないし)というわけで、これまでやっていなかった。

そこにやってきたこのダブルパック、まさに渡りに舟である(渡ろうとしたのは4年前なのでこの言い回しは正確ではないのだが)。

 

そんなわけでさっそく「9時間9人9の扉」からプレイ。

このブログの訪問者は、ここ数か月ダンガンロンパファンがかなりの割合をしめているらしいので、「ロンパはやったけど ZERO ESCAPE シリーズは未プレイ」というわたしのような人のために、まずはネタバレ無しで少し感想を書いてみる。ちなみにクリアしたのはまだ「999」だけで、「善人死亡デス」はこれからやる。

 

難易度

ロンパをクリアできる人なら問題ない。ファイナルデッドルームと同程度。

ただしロンパのゲーム性が「言葉の意味と文脈を理解し、それに対する反論を論理的に選んで回答」という「言葉遊び」的なものだったのに対し、こちらは「数遊び」がメイン。数遊びに快感を覚えるタイプにはおすすめ……と思ったが、そういうタイプにはむしろ簡単すぎるかもしれない。

なお脱出までのタイムリミットは9時間と明言されている割に、アクション要素・時間制限要素はない。わたしはタイムアタックを楽しめない(ただのストレスになる)人なので、これはむしろありがたい(ロンパくらい余裕のある時間設定ならあまり気にせず楽しめる)。

 

シナリオ

ロンパが大丈夫な人なら問題ない。

ロンパと方向性は違うものの、ある種の荒唐無稽さがある。フェアとかアンフェアとか言っちゃう人は、素直に別の推理小説を読もう!

物語の構造としては、ロンパよりむしろシュタゲに近い。が、シュタゲほどのボリュームはなくあそこまで洗練されているわけでもない(話の作りも「選択肢の見せ方」も)。ちなみにシュタゲと999はほぼ同時期の作品。それから1年後にロンパ1発売。

しかしオチに関してはわたしの知る限り唯一無二の発想で、それを体感(文字通り「体感」することになる)できるだけでプレイする価値はある。「シナリオ全体に仕掛けられたトリック」とか「体験としてのゲーム」というキーワードにピンとくるならおすすめしたい。わたしはとても面白いと思った。

一点残念だったのが、この話はDSで遊んだ方が間違いなく面白かったし、衝撃も大きかっただろうという点。クリア後にDS版発売当時の記事を読んで知った。DSというハードの特性を組み込んだシナリオとトリックだったわけだ。もちろんvita版でも理解できるように作られていたし(脱出パートで1か所、説明がわかりにくいところがあったが)、納得できているのだが、DS版をプレイできた人がうらやましい……と思えるくらいには、このシナリオを「面白い」と感じている。

これからプレイする人に向けて個人的な好みを述べると、トゥルーエンドは後回しにしない方がむしろ面白いかもしれない。オチを知るとまたさらにやりなおしたくなるので。

 

システム

999の感想ブログには口をそろえて書かれているのだが、周回プレイを前提とした作りなのに脱出パートをスキップできないというのは確かにマイナス。しかしDS版の感想を眺めるに、どうやらvita版はかなり仕様が改善されたらしい。そういう意味ではvita版の方がサクサクプレイできていいのかも。

とはいえ「脱出パートをスキップできない」こともシナリオ上必要だったと理解できる。「だったら仕方ないか」と思える程度のだるさ(少なくともvita版については。DS版は周回も最初からやる必要があったそうだから、それは確かにきつい)。1つ1つの脱出パートはそんなに長くないし。全エンディングを見るのに、ボイスをゆっくり聴いても15~20時間程度だと思う。

 

さてネタバレなし感想はこれくらいにして、以下はネタバレありの感想とか考察とか。面白かったポイントを3つにまとめてみた。おかげですごいまとめサイトっぽいタイトルになったが、ご了承ください。「9の理由」じゃないのかよ!という話だが、それもご了承ください

言うまでもなくこのゲームはネタバレせずにやった方が面白いので、未プレイの方はここで去るべし。

 

 

 

 

1. プレイヤー存在の必然性

わたしはどうやらこの手のシナリオが大好物らしい。

一言で言えばメタなのだが、プレイヤーによってはこの話をメタネタだと感じないかもしれない。

わたしはプレイヤー=形態形成場だと解釈したので、この物語はプレイヤー存在を必要とするメタネタだと感じた。プレイ中、最初はプレイヤー=過去の茜か? と思ったのだが、そんな予想よりもこっちの方が段違いに面白い。

シュタゲにおいては、複数の世界線を観察するプレイヤーは疑似的にリーディングシュタイナーを体験するわけだが、999では同じく複数の世界線を観察するプレイヤーは、形態形成場そのものとして「世界に干渉する存在」となる。これを理解した時点で、物語への没入度が爆発的に増した。

わたしは棺エンド→斧エンド→潜水艦エンド→金庫エンド→トゥルーエンド→ナイフエンドというなんだそりゃな順番でクリアしたのだが、ゼロの正体とプレイヤー=形態形成場であることを理解したあとにプレイしたナイフルートがとても面白かったので、先にトゥルーエンドを見てからバッド回収してもよかったと思っている。

 

2. ゲームにおける「視点」の工夫

クリア後にこれを知ったときは本当に驚愕したのだが、DS版では上画面が淳平視点、下画面が茜視点だったらしい。「ゲームでなければできない演出」はよくあるが(そしてわたしはそういうタイプが好きだ)、「DSでなければできない演出」だったわけだ。いやほんと、DSでプレイできた人がうらやましい。

vita版ではアドベンチャーモードとノベルモードを自由に切り替えることができる。最初はよくわかっておらず、棺エンドを見るまでずっとアドベンチャーモードでプレイしていた。二周目になってノベルモードに切り替えてみたら、一周目にはなかったナレーションが大量に加わっていて驚いた。そして気づくわけだ、ノベルモードが三人称であることに。何かおかしい、普通ならこんなことにはならないはず、と思った。

ついでに言うと、脱出モードの前後に入るテレビのチャンネル切り替えのような演出、淳平のカットインが裏返ってまるで淳平の頭の中に入っていくかのような演出、たぶん何かしら意味があるのだろうと思った。

実際のところ全部きっちり意味のある演出だったわけで、このあたりは非常に満足度が高い。

ゲーム中で唯一、淳平でも茜でもない視点になるのが、棺の上にカメラが飛んで棺のアップになるシーン。最初に見たのが棺エンドだっただけに「えっ!?」と驚いたわけだが、あれも意味があったわけだ。あれはプレイヤー=形態形成場視点だったという。形態形成場に金庫エンドの記憶が書き込まれていると、あそこで形態形成場が淳平に干渉してシナリオを捻じ曲げる(というか、本来あるべき姿へ引き戻す)。

 

さらについでなので書いておくと、登場シーンからずっと茜=ゼロだと疑っていた。あいつは絶対豹変または腹黒ヒロインだと思っていた。ウサギを殺したのも、淳平くんと一緒に過ごす口実にするためだっただろー!的な。「淳平くん」をやたら連呼するのも「この男は私の所有物」アピールだろー!的な。なんかすいませんでした。あの子9時間後には全員死ぬというシチュエーションにもかかわらず頭お花畑発言連発で、むしろ黒幕でなかったら本当にただの恋愛脳でしかないじゃん…

999の真ヒロインはニルス。異論は認める。

 

3.「脱出」ゲームの構造

さて、このゲームの正式なタイトルには「極限脱出」とついていたはずだ。脱出ゲーム+アドベンチャーゲームというところがこのゲームの売りだったわけで、実際に脱出パートではいわゆる「脱出ゲーム」的なことをやる(わたしは脱出ゲームというジャンルにあまりなじみがなく、これまでにやったのはロンパ2のファイナルデッドルームくらいなので、今作の「脱出ゲーム」としての出来がどうなのかは評価できない)。大局的に見れば、あの「豪華客船」からの「脱出」ゲームである。

この話を「豪華客船=非日常」からの「脱出」として見ると、ちょっと面白い逆転が起こる。閉鎖空間に閉じ込められた9人によるデスゲームと聞くと、「非日常」から「脱出」して「日常」に帰るのが目的となるのが普通だ。ところがこの話、豪華客船に閉じ込められていた状態(バッドエンド)の方がよほど「日常の延長」なのだ。真実がわかるにつれて、わたしたちの常識が通じる「日常」は消えて「非日常」の色が濃くなっていく。

最終的に淳平は「日常」から「脱出」し、自分の意思で「非日常」へと身投げした。つまりこれは「非日常から日常に帰るための脱出」ではなく「日常を脱出して非日常へと至る」物語である。今作の登場人物が続編とどう関係してくるのかについてはまだ不明だが(もう完結しているのだからまとめて遊べるのが嬉しい)、生き残ったメンバー、特に淳平は完全な「日常」には戻れないだろう。

そんなわけでこのゲーム、「日常からの」脱出であり「非日常への」脱出でもある。この構図に気づいたとき、ものすごくわくわくした。

 

本編の内容についていろいろと疑問やつっこみはあるのだが、続編をプレイすることで解消される部分もあるかもしれないので、とりあえず本日はここまで。