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ゲームと身体感覚「ホットラインマイアミ」ネタバレなし感想

ここ数か月、ホットラインマイアミを少しずつ進めていた。普段ゲームにはまると一気に進めてしまいがちなのだが、あまりアクションゲームをやらないわたしはこのゲームは15分もプレイすると集中力と気力を使い切ってしまうため、文字通り少しずつ進めることになった。

このゲーム、日本語ローカライズ版発売当時にダンガンロンパシナリオライターである小高さんが絶賛しているのを見て(ローカライズ元がスパチュンだしね!)気になっていたのだが、超絶難易度のアクションゲームだと聞いて尻込みしていた。

実際のところとても難しくはあったのだが、その難しさがちょうどいいレベルで(少なくとも1は。今やっている2はそろそろ難しすぎてつらくなってきた)、かつリスポーンのテンポと死んでも途切れない音楽(ここ大事!)が心地よく、とても楽しかった。

このゲームを「とても楽しかった」と表現するだけで人格を疑われそうだが、今さらである。ともかく楽しかったしいろいろ考察のしがいもあるゲームだった。

確かにダンガンロンパのシナリオが好きな人ならこれも好きだろうと思うが、あまりにもゲームのジャンルが違いすぎるので(ロンパのアクションでも難しい人だっていると思うし)ファン層がどれくらいかぶっているのかわからない。

おすすめしたいところではあるが、グロいしアクションゲーム的操作も求められるし、精神は汚染されるし、おすすめはしないよ!! と言っておこう。それでも体験したい人は手に取るといいと思う。このゲームは体験することに意味がある。

なおわたしにとってこのゲームはアクションゲームというよりパズルゲームだった。アクションが苦手でも、マップと敵の配置と手持ちの道具から戦略を組み立ててなんとか突破できるのが楽しいのである。だから純粋にアクション勝負なボス戦は結構つらかった。基本的にどんくさいんですよわたしは!

ここでは1の感想をまとめてみたい。このページはネタバレなし。

 

 

 

体験としての「ゲーム」

ゲームはしばしばプレイヤーに出来事を「体験」させる媒体だと言われる。主人公の行動や感情に近いポジションでストーリーをなぞれる、そこが映画や小説とは違うところだと。

わたしもほぼ同意見で、だからこそ「ゲーム」であることに意味のある「ゲーム」には好印象を持つ。

マイアミはまさに体験することに意味のあるゲームである。プレイヤーはゲームの主人公ジャケットくんと一体化し、彼の行動の一挙手一投足を自分の身体感覚として捉えるようになる。

チュートリアルでジャケットくん(本名不明)は「人の殺し方」を教わる。人をバットで殴ったときに飛び散る血に、うわっグロいと感じるプレイヤーは多いと思われる。あまり洋ゲーに慣れていないわたしは、ドット絵で表現されるゴア表現にもかなりびくびくしていた。最初だけは

慣れるのである。飛び散る血にも、頭が吹っ飛んだ死体にも、内臓の飛び出た死体にも、人を殴る行為にも、銃の引き金を引く行為にも。あまりにもたくさん殺して、たくさん殺される。その行為に慣れていく。

プレイヤーはそのことを自覚しながらも、軽快な音楽と簡単にリスポーンできるシステムのおかげで、さくさく殺しさくさく殺されることをやめられない。

 

ゲーム終盤で、ジャケットくんは無抵抗の男と対峙する。ただ対峙しているだけ。選択肢も何も出ていない。そこでわたしはつい、攻撃のボタンを押してしまった。同時にジャケットくんは男を殴り、そのまま殺してしまった。

そのときの衝撃ときたら。

あのとき、わたしとジャケットくんは完全に一体化していたように思う。感情も、身体感覚も。男はジャケットくんにとって仇にあたる人で、その男がすぐそこいるという「現実」を目の前にして、「わたし」は手を出さずにいられなかった。

ゲームに指示されてボタンを押したのではない。わたしが彼を殴りたいと思い、自分で手を動かして彼を殴った。それはただ眺めているだけの「イベント」とは一線を画した、「わたしが体験した感情」であり「わたしの意思で起こした行為」だった

そしてこのゲームは、わたしが彼を殴りたいと思うことを許してくれた。プレイヤーがそんな行動をとることを可能にしてくれた。プレイヤーがそんな行動をとるだろうことを予想して準備しておいてくれた。

わたしは完全に製作者の手のひらの上だった。こんな衝撃を味わったのは初めてだった。彼を殴ったあの瞬間、わたしの中でマイアミは押しも押されぬ神ゲーになった。

 

「人を傷つけるのは好きか?」

ゲームの序盤で、ジャケットくんはある人物にこう尋ねられる。

それはジャケットくんへの問いであり、こんなゲームを手にしたプレイヤーへのメタ的な問いでもある。

人は人を傷つけることを娯楽にできる生き物だ。処刑が見世物にされ、大勢の「善良な人々」がそれを娯楽にしていたのはそんなに大昔の話ではない。今はそのかわりに小説や映画やゲームやドラマで、傷つく人々を娯楽にして消費している。本物の人間を傷つけなくなっただけ人間は進歩したが、それでもその本質は変わらない。

そのことをまざまざと突きつけられるゲームだった。

 

慣れの恐ろしさ

流血表現にも人を殺すことにも慣れていくのは怖い。

だがもう一つ、このゲームをやっていて決定的に怖いことがあった。

このゲーム、建物の壁がゲーム画面に対して水平ではないのである。

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ほら、こんなに傾いてる。

ゲームを始めたばかりの頃、わたしはこの傾きが不安で仕方なかった。これもゲームの世界観を表す演出のひとつだろうとわかっていても、「平行でない」ことは人を不安にさせる。

それに建物の外の背景は、サイケデリックなピンク、青、緑がグラデーションしながら移り変わっていく。これも最初はめちゃくちゃ気になって、不安でたまらなかった。

画面に目に入る何もかもがわたしを不安にさせていたのに(↑に加えて、もちろん画面にはロシアンマフィアがうようよいるし、そこらじゅうに血と臓物が転がっているわけで)、それらにもだんだん慣れてくるのだ。

上のスクショは終盤の章で撮ったものなのだが(ほとんどの敵をドアパンチで倒した結果、死体の積み上がり方がすごいことになったのが面白くて撮った)、落ち着いてPCの画面上でこのスクショを見て初めて、わたしはこのフロアがどれほど傾いていたのか気づいた。つまりプレイ中は全然この傾きを気にしていなかったわけだ。

このことにも愕然とした。建物の外の妙な色も、いつのまにか気にしなくなっていた。どんな異常も、繰り返せば慣れてしまうものなのである。

 

音楽がヤバい

怖い話ばかりしているので話を変えて、音楽のことにも触れておきたい。

このゲームを語るにあたり、音楽のことは避けて通れない。画面とシナリオとゲームシステムと音楽が一体となってプレイヤーに襲いかかる、それがホットラインマイアミである。

飛び散る血しぶきを興奮に変えてしまう麻薬のような音楽が大量に揃えられている。

中でも Hydrogen は、マスク選択画面ですでにテンションマックスにさせてくれる。サントラは SOUNDCLOUD で公開されているのでぜひ。

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非常に少ない音数でストイックに変奏を重ねていく曲なのだが、もうこの音作りが心地好すぎていくらでも聴いていられる。マイアミには M.O.O.N. の曲がいくつか収録されているが、本当にどれをとってもツボである。

 

ミッション中の曲でお気に入りなのをもう一曲あげるとしたら、Musikk per Automatikk だろうか。旋律が二声になるところがすごく気持ちいい。

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正確には「ミッション」用の曲ではないが、Flatline にも独特の中毒性がある。Chapter 12 TRAUMA でかかっていたあの曲だ。聴いているだけで頭がふらふらしそうだ。

まっすぐ歩けないジャケットくんの状態と、シナリオの展開のおかげで混乱の極みにあるプレイヤーの心理状態にこれ以上なく合う曲だった。

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ミッション後の息抜きの場面で流れる Daisuke もとても好きだ。ぬるい空気とぬるいビール、そして他愛もない優しい会話。そんな風景が似合う曲だと思う。

2をやってからこの曲を聴くと泣いてしまう。ジャケットくんにとってあの時間がどれだけ大切だったのか、彼がどれほどあの時間を求めていたのかと思うと。

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さて、本日はひとまずここまで。また近々、今度はシナリオの考察も含めて感想を語ってみたい。 

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