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マイアミの妖怪、リチャード「ホットラインマイアミ2 Wrong Number」考察

先日途中で詰まっていることを嘆いたばかりだが、ようやく「ホットラインマイアミ2 Wrong Number」をクリアできた。

人によっては数時間でクリアできるゲームなのだと思うが、アクションが下手なわたしは丸三か月もかかってしまった。だが時間をかけてでも自力クリアできてよかったと本当に思えるゲームだった。

クリアしたばかりの今、とても胸が苦しい。つらい。あまりにも救いがなく、しかし彼らにとってはこれもまた救いであるというか、これ以外の救いはないというか。そういう何もかもをひっくるめて心が痛い。

わたしにとって書くという行為はセラピーである。自分を癒すためにも、今の自分が抱えている感情を言語化しておきたい。

1も2もネタバレ全開でいくので、未プレイの方は回避されたし。

1のネタバレなし感想はこちら。

ssayu.hatenablog.com

1の考察記事はこちら。

ssayu.hatenablog.com

 

マイアミの妖怪

まずはリチャードについて考えておきたい。

わたしは1のリチャードと2のリチャードは別の存在だと思っている。まず1のリチャードには歯がないしね!

前の記事で書いたように、1のリチャードはジャケットくんの内側に存在する「自我」である。昏睡状態かつかなり精神を病んでいるジャケットくんを治すために、これまでの出来事を回想させ、記憶の整理を図った。

ジャケットくんは意識下において事件の真相に気づいているが、彼にとってそれはどうでもいいことであるばかりか、むしろ気づきたくない真相だった。だからジャケットくんの意識はそれから目を背け、リチャードは「お前は真相にたどり着くことはない」と告げるのである。

リチャードは、ジャケットくんは「真相を知らなくてもいい」と認めているともいえる。リチャードはジャケットくんを守り癒すための存在だから、彼を傷つけるだけの真相には蓋をしてあげたのだ。

 

2のリチャードは、ジャケットくんの姿形を目撃した(報道されたものも含む)大勢の人が抱いた幻想であり、そのイメージから生み出された妖怪のようなものではないだろうか。

登場人物のほとんどは、ジャケットくんに対して何らかのイメージを持っている。それは実際のジャケットくんとは異なる勝手なイメージだ。そのイメージがそのまま彼らにとっての「リチャード」となる。つまり「その人の持つジャケットのイメージ」こそが、作中での「リチャード」の言動になっているのだ。

ではキャラごとの「ジャケット観」と、彼らがそこから生みだした「リチャード」を振り返ってみよう。

 

ザ・サンとヘンチマン

ロシアンマフィアであるザ・サンとヘンチマンにとって、ジャケットくんは自分たちの組織を壊滅に追い込んだ死神以外の何ものでもない。だからこそ、彼らの前に現れる「リチャード」は死そのものを告げる「死神」の役割を果たす。

 

エヴァン・ライト

作家エヴァンにとって、ジャケットくんは「最優先」の存在である。何と引きかえにしても会いたい存在だったはずだ。しかしその一方で彼を「最優先」にしてしまうことに罪悪感を持っていたエヴァンは、「リチャード」から「優先順位を考えろ」と告げられる。

 

マニー・パルド

パルド刑事にとってジャケットくんは、(本来自分が浴びたかった)多くの注目を集めた羨ましくも憎い存在である(ずいぶん仕事も増やされただろうから、1989年当時は本当に恨めしく思っていたに違いない)。パルド刑事は自分こそが主人公になりたいタイプだ。だからジャケットくんを求めない。よってリチャードは彼の前に現れない。

リチャードに主体性があるのかどうかは不明だが(わたしはなんとなく、条件が揃ったときに自動的に現れる「現象」としての妖怪を思い浮かべている)、もしあるのだとしても、彼の前には現れたくないだろう。何を告げてもまともにやりとりできるとは思えないからだ。

 

ザ・ファンズ

ザ・ファンズにとってジャケットくんは憧れの存在だ。「偶像崇拝」の対象である。リチャードは彼らに託宣を与える。ただしファンズはあくまでジャケットくんの「ファン」にすぎず、ジャケットくんを理解しようとはしていない。だから彼らにはリチャードの託宣の意味がわからない。そしてわからないまま死んでしまう。

ところでせっかくマークが調達してくれたニワトリマスクを、決戦のときにかぶっていかなかったのがもったいない。1ではリチャードのマスクには能力がついていなかったが、ザ・ファンズがかぶったらテンションが上がって移動速度アップとかの能力がつきそうなのに。

 

ジェイク

1989年に死んでしまったジェイクは、ジャケットくんのことを知らない。ジャケットくん逮捕前には「マイアミの妖怪」も形作られていなかった。だから彼の前にリチャードは現れないし、あの「上映会」でもジェイクはリチャードのことがわかっていないようだった。

 

マーティン・ブラウン

俳優マーティンはジャケットくんになろうとしていた。映画の脚本が示す「殺人鬼」ではなく、彼自身のイメージする「ジャケット」像に近づこうとしていた。ブラウンは映画の脚本に満足していない。本物の「ジャケット」だって、こんな脚本は望んでいないはずだ……とブラウンは考えていたのだろう。だからリチャードは彼の前で映画の失敗を予言し、「お前がその結末を気に入るとは思えない」と告げる。

 

リヒター・バーグ

リヒターにとってジャケットくんは「恨まれても仕方のない人」であり「自分に終わりをもたらしてくれる可能性を持つ人」だった。彼は1でジャケットくんに殺されることを受け入れていた。だからリチャードを見ても驚きも焦りもしないし、抵抗もしない。もう抗う必要がないと安堵するようなことを言うリヒターが悲しかった。リヒターにとって死は救済であり、死以外のものは救済になりえなかったのだと思うと。

「上映会」でリヒターに謝られたリチャードが「俺はお前が思っている奴じゃない」と言うのは、リチャードとジャケットくんが別の存在であるというだけではなく、1のリチャードと2のリチャードが別の存在であるということではないだろうか。そしてまた、あの核爆発を一度体験したリヒター自身も「ジャケットくんに謝っても今さらどうしようもない」と理解しているということなのだろう。

 

ビアード

ビアードはリチャードに「前に会わなかったか?」と言った。そしてリチャードは「思い出してくれて嬉しい」と応える。

だがビアードはリチャードには会ったことがない。ビアードが会ったことがあるのはジャケットくんであり、その頃のジャケットくんはニワトリのマスクはかぶっていなかった。ビアードはリチャードにジャケットくんを感じ、リチャードにとってそれは「嬉しい」ことだった。

リヒターに対しては「お前が思っている奴じゃない」と応えたリチャードが、ビアードにこう応えたのはなぜか。ビアードにとってジャケットくんがそういう存在だったから、だと思う。ビアードは、ジャケットくんのことを「四年ぶりに現れた自分がジャケットのことを覚えていたら喜んでくれる」ような人だと思っているからだ。

マイアミの妖怪リチャードはジャケットくんの姿形から生まれた。ジャケットくんが1で大暴れした末に逮捕、報道されることがなければ生まれなかった。ビアードが死に、ジャケットくんが病み、ロシア人への恨みを募らせなければリチャードは生まれなかった。だからリチャードにとってもビアードには「もっと違う形で会いたかった」のだろう。もしリチャードが少しでもジャケットくんと繋がった存在なのだとしたら、余計に。

 

一人ずつキャラ語りをしていくつもりだったのに、リチャードについてだけで長くなってしまった! なんか結局リチャードとの関係で全員分語ってしまったし!

語りたいことが多すぎるので続きはまた後日。

 

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