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人を傷つけるのは好きか?「ホットラインマイアミ」キャラ語り01

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今回は「ホットラインマイアミ」のキャラ語り。

前回リチャード兄貴だけで語りすぎてしまったが、今回はジャケットくんとフッカーをメインに。1と2両方のネタバレ全開につき注意されたし。

 

 

ジャケット

さて、彼についていったい何から語ろうか。

1で彼のしたことについては、1の考察記事で詳しく語ってみた。

1をプレイしながら、これだけ殺しまくった彼にハッピーエンドはとても期待できないと思っていた。謎をはらみながらも本懐を遂げる1のエンディングは、あの時点でのジャケットくんが迎えられる最善のハッピーエンドだった。

勝利を分かち合う人はおらず、パトカーのサイレンを聞きながら一人煙草を吸って写真を投げ落としたジャケットくん。真相なんてどうでもよくて、守るものも大切なものも何もなくて、自分がどうなるかもどうでもよくて、これ以上やりたいこともなくて、ただ言われるままに警察に捕まったのだろう。

プレイヤーには彼を救うことはできない「人を傷つけるのが好き」なプレイヤーは、ジャケットくんを戦いに向かわせてさらに傷つけることしかできないのだ。

 

物語開始時点で、すでにこれ以上ないほど傷つき壊れていたジャケットくん。いったいどこまでさかのぼってやりなおせば、彼は幸せになれるのだろうか。

あの世界は何もかもが「間違い」すぎていて、何をどうしてもジャケットくんが幸せになれる未来が見えない。「熱戦」が起こらず「冷戦」が続いたわたしたちの時間軸で生きていれば、あるいは。だがその場合、ジャケットくんはビアードとは出会えないかもしれない。いや、もしかすると冷戦時代であっても彼は従軍し、そこでビアードたちに出会えていたかもしれない。

そんな想像をしてしまうくらい、あの世界はあまりにも「間違い」すぎている。

 

リチャードの言うとおり、彼らが何をしても、どう抗っても、結局のところ大きな力の前で意味はなかった。

「大きな力」とは核の力のことでもあり、プレイヤーの意思でもある。

わたしたちは結末を知ってもなお、彼らを戦いに赴かせる。わたしたちが満足するまで、あるいは飽きるまで、何度でも。

 

リチャードのあの印象的な問いについてだが、わたしはジャケットくんは必ずしも「人を傷つけるのが好き」ではなかったのではないかと思っている。「人を殺す以外の仕事なら何だっていい」と言っていたビアードに懐いていたジャケットくんなのだから。

そんなジャケットくんに再び武器を取らせたのが、ビアードを失った孤独感と喪失感、それに戦争に負けるという絶望の中で陥った狂気なのだろう。ただ、それだけならもしかしたらジャケットくんはあんな凶行には走らなかったかもしれない。引き金となったのはやはり50の祝福からの電話だったと思われる。

前回の記事で書いたとおり、昏睡状態のジャケットくんを治すための荒療治としてリチャードたちの始めたあの回想(マイアミ1のPart1から3まで)はジャケットくんの体と心の負担になり、それに耐えられずにジャケットくん「本体」が吐いてしまったのが、プレリュードジャケットくんの嘔吐なのだとわたしは思っている。それくらい、やっぱりジャケットくんは人を傷つけることが好きではなかったのだとしたら。何度も何度も戦いに向かわせて本当にごめん、ジャケットくん。あと何度も死なせた件も……。

 

ジャケットくんを治したいリチャードが「人を傷つけるのは好きか?」と尋ねるのは、「こんなことをやりたくてやっているわけではないはず」と思い出させたかった部分もあるのではないか。

本当に心の底から人を傷つけるのが好きな人なら、ジャケットくんのエスであるラスムスが「お前はいい人間じゃない」なんて言わないはずだ。好きなことを思う存分やれている人が、自分自身にそんなことを問うだろうか?

一連の事件は、ひょっとしたらジャケットくんにとって自傷行為の意味もあったのかもしれない。物理的に傷を負うことだってあっただろうし、やりたいわけでもない殺しを続けることで心はどんどん傷ついていたはずだ。傷ついた心はさらに狂気に染まり、凶行を続けるという悪循環である。

 

ただし好き嫌いとは関係なく、ジャケットくんは人を傷つけるのが得意だ。誰にも負けないくらい上手い。「ブリーフケースを取ってこい」というだけだった最初の指令を聞いて、その場にいたマフィアを全滅させて帰ってくるくらいには上手いし、手慣れている。

またジャケットくんは障害にぶちあたったとき、「敵を殺す」こと以外にその障害を乗り越えるすべを知らない。ビアードの死やフッカーの死を乗り越えようとしたとき、彼はほかの方法をとることができなかったのかもしれない。

 

これも前の記事で語ったことだが、わたしは電話の声のうち何割かはジャケットくんの聞いた幻聴だと考えている。特に留守番電話にメッセージが残されていなかったものがあやしい。

2をプレイすると、50の祝福からのメッセージはジャケットくんの所属していた部隊での暗号的やりとりと非常に似通っていることがわかる。ジャケットくんの部隊の大佐が50の祝福の創設者だったのだから、このつながりは理解できる。

そしてふと思った。ジャケットくんはビアードからかかってきた電話を「聞いて」しまったのではないかと。

わたしたちはあの電話のメッセージをテキストで読むことしかできない。声まではわからない。本当に声が聞こえていたのかどうかも。

ジャケットくんにはあの電話がビアードの声に聞こえていたのだとしたら。何もないところからビアードのメッセージの幻を生み出してしまったのだとしたら。死の直前に「またな」と言ったビアードが再びかけてくる電話を待ち続けていたのだとしたら。

きっかけは50の祝福の指示だったのだろう。聞き慣れた「指示」に従って「作戦行動」をとったジャケットくんは、やがてかつてのリーダーからの「指示」を待つようになり、そしてそれが彼にとっての「現実」となる。ビアードの幻を見たのと同じように、ビアードの声も聞いていたとしてもおかしくないと思うのだ。

ビアードの声で「ホットラインマイアミデーティングサービスです」と言われてしまったら。ジャケットくんは家を飛び出さずにはいられなかっただろう。そして1985年のハワイでしていたのと同じことを、1989年のマイアミでするのだ。

 

核の力という、彼の力すら呑み込んでしまう圧倒的な暴力によって死んでしまったジャケットくん。死んでリスポーンし続ける呪いから、これでやっと解放されたのだろうか。

彼はリヒターの脱獄事件のときも動こうとしなかった。昏睡から目覚めたあとどれくらい正気に戻れたのかは不明だが、彼は自分の裁判の結果にすら関心がなさそうに見えた。与えられる結果が何だったとしても、彼は受け入れるつもりだっただろう。だからあの結果に対しても、彼は何も言うまい。

いや、アメリカのために戦っていたジャケットくんなら、アメリカを焼き尽くす核の炎など受け入れられないか。

 

フッカー

ジャケットくんの次に語るのはビアードにしようと思っていたのだが、ジャケットくんの項で語りすぎたし、彼についてはまた日を改めて語ることにする。

さて、それではジャケットくんに助けられたフッカーについて。

彼女とジャケットくんの短い同棲生活に心なごまされたプレイヤーは多いはず。徐々にきれいになっていく部屋と、近づいていくベッド。入浴中はきっちり鍵をかけていることに少し笑ってしまった。

一人暮らしのジャケットくん宅にベッドが二つあるということは、あれは前のガールフレンドのベッドだったのだろうか。ビアードがジャケットくんに「彼女をなくして落ち込んでいた」と言っていたことからも、そういう事情が想像できる。

 

助けられて以降、ジャケットくんとフッカーの会話が作中で描かれることはない。だがわたしには、彼女はあの家でとてもリラックスしていたように見える。

結果としてジャケットくんが彼女を自宅に連れ込んだことが彼女の死を招いたのだとしても、彼女はあの1か月を幸せに過ごせていた。もしかすると彼女の人生の中で唯一幸せな時間だったのかもしれない。

たまに出ていくジャケットくんが何をしているのか薄々察しながらも、彼女は彼を止めなかったのだろう。彼の行為のおかげで彼女は助かったのだから。そしてきっと、ジャケットくんの持つ力は、彼女に向けられることはなかっただろうから。

 

ジャケットくんは、戦場で負傷兵を助けるのと同じ感覚で彼女を助けたのかもしれない。ちょうどビアードが自分を助けてくれたように。ジャケットくんの精神が1985年のハワイにあったのだとしたら余計に。

 

二人の関係を思えば思うほど、2で描かれた「ミッドナイトアニマル」のシナリオがつらい。世間は二人の関係をあんなふうに想像していたのかと思うと。

連続殺人犯の家に娼婦が暮らしていた形跡があったら、世間が彼女を「被害者」とみなしてしまうのは無理もないのかもしれない。彼女がジャケットくんと幸せに暮らしていた痕跡はあちこちにあったはずなのに、警察はそのすべてを見逃したのだろうか。作家エヴァンが「ずさんな捜査」だと切って捨てたくらいだし、本当に見逃したのかもしれない。あるいは警察内部にいる50の祝福の信奉者が捜査の目をそらしたとか。

ジャケットくん自身は、今さら自分のことをどう誤解されようと興味はないだろう。誤解を訂正する気だってないだろう。もう彼女は帰ってこないし、自分自身もきっともう外に出ることはできない。

 

この二人の関係が好きだった方には、映画「Drive」をぜひ見てほしい。「ホットラインマイアミ」製作者のお二人が、世界観とキャラクター構築の参考にしたらしい作品だ。

 

パッケージに写っているこの男性がジャケットくんのモデル、ドライバーさん(本名不詳なのもジャケットくんと同じ)。サソリの刺繍の入ったジャケットを愛用している。

彼は同じアパートに住む女性と惹かれ合う。ドライバーさんはジャケットくんと同じく非常に無口で、この女性とも最小限しか言葉は交わさない。ただ、互いに見つめ合う表情がとても素敵だ。静かに見つめ合う表情がたっぷり流れる、ある意味で大変贅沢な映画である。

ジャケットくんもあんなふうに柔らかく微笑むことがあったのだろうかとか考えながらこの映画を見ると、このゲームのプレイヤーなら映画の前半から切なすぎて泣いてしまうこと必至だ。

ただしこの映画は、マイアミの世界観やキャラ造形の元ネタになったという情報自体が最大のネタバレになってしまう。マイアミをプレイした方にはぜひおすすめしたいのだが、そこがジレンマといえばジレンマか。

 

アカードGT

最後にジャケットくんの車について、自分用メモのついでに語っておく。

ジャケットくんの車はファンの間でデロリアンではないかと囁かれていたが、あれは複数の車のデザインをミックスした架空の車「アカードGT」というらしい。

ガルウィングドアがかっこいいデザインだ。

 

プレイヤーにとって、この車は「ゴール」であり「オアシス」である。何度も死にながら長い戦いを勝ち抜き、死体の山を踏み越えてやっとたどり着く「安全な場所」なのだ。そしてプレイヤーはジャケットくんとともに、この車の中からマイアミの風景を見つめながら家に帰る。

その「たどり着くべき大切な場所」である車が落書きされていたときの衝撃ときたら。何が起こったのかもわからないまま病院から抜け出して、ふらふらになりながら歩いて帰ってきたところで落書きまみれの車を発見したときは、まるで自分自身の一部が損なわれたような気持ちになった。

しかも "WHORE" って。フッカーと、彼女と暮らしていたジャケットくん自身を揶揄する意味だろう。

たぶんわたしが1をプレイしていていちばん精神的に大きなダメージを受けたのが、この落書きを見つけたときだ。そして追い打ちをかけるように、フッカーが少しずつきれいにしていったジャケットくんの家も荒らされていることがわかる。

この後のシナリオの流れからして、プレイヤーの心をジャケットくんとシンクロさせなければならない場面ではある。大切なものを汚されたことで、わたしは確かにジャケットくんとシンクロした。そしてその怒りにまかせてリヒターを殺してしまった。

「ゲーム」のシナリオのあり方としてあまりにも上手い。そしてあまりにも残酷だ。

 

それにしてもわたしは自分へのセラピーのつもりでこの文章を書いているのだが、書きながら次々とつらい解釈ばかり思いつくので、むしろ自傷行為になっているような気がしてきた。

次回はビアードやザ・サンたちについても語ってみたい。

 

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