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間違えた男「ホットラインマイアミ」キャラ語り03

マイアミ感想シリーズも長くなってきたが、もう少し続く。

本日はザ・サンを中心に、ロシアンマフィアについて。

1も2もネタバレ全開につき注意。

 

 

ザ・サン

お気に入りキャラである。日本刀を持って出撃するのもかっこいい。1のボスだったニンジャガールを母親に持つからだと思われる。

ザ・サンの章はどれも広いフロアに敵どっさりで(2はどの章もそうだが)難しかったのだが、所詮は一般家屋である。小部屋をクリアしていくタイプの章は精神的に楽だ(わたしの場合、広いフロアのどこから狙撃されるかわからないタイプの章の方が消耗しやすい)。死にまくりはしたものの無理ゲーという感じはせず、楽しく死にまくった。銀行強盗の章とか、あそこまできて結構楽なミッションだったし。

その銀行強盗の後に、彼が今は亡き家族の幻を見て「ほめてほしくて……」と口にするシーンは胸にきた。

彼は両親と祖父を一度になくし、ガタガタになった家業を継がねばならなくなった(まあその家業とはマフィアなのでほめられたことではないのだが、それはそれとして)(何もかもジャケットくんのせいである)。

壊滅状態だった家をあそこまでたてなおすのは容易なことではなかっただろう。1991年時点でのザ・サンは部下たちに慕われているように見える。それはひとえに彼の人望と実力のなせるわざだったに違いない。

何しろ銀行強盗では部下のサポートにまわり、敵の本拠地には一人で乗りこむ超絶現場主義のボスである。

それもこれも、両親に認めてほしかった息子のけなげな努力……と片づけてしまうのはいささか簡単すぎるか。もしかするとあのマフィアのさらに上にはソ連の上層部がいたりするのかもしれないし。

 

彼が薬を使い続けたのは、両親に会いたかったからだろう。一度使ったときに幻を見て、そのせいでやめられなくなってしまったとか。

たくさんの部下もヘンチマンも、彼を現実に繋ぎとめることはできなかった。

ほめてほしくて。

結局それなのだとしたら、悲しい。

あんなに頑張ってたくさんの部下に慕われていたのに、自身は満たされず、最後は自分の手で組織を終わらせることになってしまった。誰も望まない結果というのなら、この作品の登場人物すべてにあてはまることではあるが、それにしてもザ・サンの悲劇はとりわけ悲しいと思う。

 

最後の幻想的な戦いが、薬物中毒患者がラリって見た本当の幻想だというのが、製作者の悪意を煮詰めたようなことになっていてとても好きだ。

幻想は所詮幻想であって、現実に勝てるものではない。だが幻想はしばしば現実を侵食し、大切なものを破壊する……みたいな。ゲームに幻想を見たいプレイヤーとしてはなかなかに痛いメッセージだ。

それまで人間同士の争いを描きながらラスボスがファンタジーバトルになるといえば幻想水滸伝を思い出すのだが、あっちの話まで主人公がラリって終わったみたいな気がしてくるのでイクナイ。

ラスボス戦がザ・ファンズの四人との戦いだというのは、ザ・ファンズの章でだいたい察していたのだが、しかし想像以上に熱い戦いだった。初見時はあまりの事態に手が震えて死にまくったものだが(死にまくるのはいつものこととして……)。

この悪夢がいつ終わるのかと思いながらプレイしたのはわたしだけではあるまい。あれはあまりにも悪夢で、悪夢の表現として適切すぎて、怖くて逃げだしたかった。お薬ダメ、絶対。

しかし表現の巧みさという意味では一見の価値ありという点に反論は起こらないだろう。それくらいあの世界はすさまじく、その世界の一部となるのは得難い体験ではあった。

ホットラインマイアミとは体験すべき物語だ。あの狂気と狂乱の中を、自らの手で進んでいく感触が、おぞましくも癖になるのである。返り血の臭いすら漂いそうなあのドット絵の世界の行きつく先が、あの幻想だった。

ザ・サン vs トニー戦の公式絵が美しい。一見するとザ・サンがこの物語の主人公のようにも見える。強大な敵に立ち向かう彼の後姿の勇ましいこと。これが現実だったらなあ。「現実」なんだけど……。

 

そしてこっちはかっこいいファンアート。

わたしはプレイ中、トニーはあの場を生き延びた=ザ・サンが倒すことはできないということになかなか気づかず、立ち向かおうとしては死にまくった。

そして逃げたトニーを始末するのがバルド刑事だというところがまた救われない。あんな幻想的な(ザ・サンの脳内では)戦いの行く先が、あんな身も蓋もない最期だなんて。

 

身も蓋もないといえば、ザ・サンの最期も身も蓋もない。

アレックス視点では突然現れてさくっと二人を殺したように見えたが、ラスボス戦でも何度死んだことか。あそこまできてビームを吐く敵が出るとか聞いてない! しかもアレックス視点では銃で攻撃してきたのに、ザ・サン視点だとそれまで持っていたはずの銃が斧になっているという。

アレックスとアッシュを倒すと、彼らの服が周辺に飛び散る。ほかのメンバーでも同じなのだが、あの演出も気づいたときにはぞっとした。

その足で虹の橋を渡ってしまうザ・サン。プレイヤーは自らの手でザ・サンを虹の橋へと向かわせなくてはならない。

そして流れる "Dust" である。あの曲があれほど空虚に聞こえることがあっただろうか。あの曲は、その章の終わり方によってさまざまに聞こえ方を変える。励まされるようにも、突き放されるようにも、煽られるようにも。どんな死のそばにも寄りそってきたあの曲が、最後に逝く者をただ送り出すのである。

あまりにも無為な戦いだった。家を再興させるために、文字通り血の滲む(ただし他人の血である)努力をしてきたザ・サンが、最後はすべてを失って自ら死んでしまう。

虹の橋といえば北欧神話のビフレストを思い出す。あれは地上とアスガルドを結ぶ橋だ。ザ・サンはあの橋を渡って神々の国へと向かった――そんなふうにもとれる演出ではあった。

まあそんなわけはなくて、彼の行きついた先は地面である。わたしたちは彼の行きついた先を、Death Wish の章ですでに見ている。

あの布のかぶせられた墜落死体。最初に見たときはアレックスとアッシュがあのあと落とされたのかと思った。しかしそうだとすると数が合わない。死体を片方だけ落とすというのも妙な話だ。引っかかっていたあの死体の問題は、最後の最後に解決する。

なんて皮肉な演出だろうか。製作者の悪意の奔流が止まらない。わたしのスタンディングオベーションも止まらない。

ちなみにザ・サンの死体はゲーム本編中では布がかけられているが、リチャードの上映会ではばっちり見えているので安心だ(安心?)。

彼は虹の先に両親の姿を見たのだろうか。

だとしたらその両親は何を言っただろうか。

大金を手に入れ、コロンビアマフィアを壊滅させ、新しい麻薬ビジネスを成功させ、立派な事務所を作った彼を「ほめて」くれただろうか。

どちらにしてもただ虚しいし、悲しい。

 

なおザ・サンが本当に殺したかったのは、間違いなくジャケットくんだと思われる。ほかの誰を差し置いても、もしジャケットくんを始末する機会があればやっていただろう。

だがジャケットくんは警察に逮捕され、裁判を待つ身。マフィアの手が及ばないところにいた(リヒターが殺されかけたのを見るに、あの刑務所は割とザルなので頑張れば挑戦できた気もするが)。

ザ・サンが最後に殺したのは、マスクをかぶった金髪の白人だった。ジャケットくんの顔とは似ていないだろうが、そのめぐり合わせは少し面白い。

 

マイアミ2の副題にもなった「間違い電話 wrong number」をかけたザ・サン。誰もが真相とは程遠いところで間違い続け、物語の全体像など掴むべくもなく終わっていった。

いくらリチャードが上映会を催したところで、結末はかわらない。

もしもザ・サンがヘンチマンが離れていくのを止めることができていたら、何か変わっていただろうか? ヘンチマンなら、ザ・サンが薬をやりすぎるのを止められたかもしれない。それにザ・ファンズは新事務所の場所を突き止められない。

とはいえ、その先に待つのは核の投下である。リチャードの言うように、本当にこれらは何もかも「意味がない」のである。

 

 

ザ・ヘンチマン

ものすごい勢いで死亡フラグを積み立て、あっという間に回収して死んでいった人。

報われない人ばかり登場するホットラインマイアミ2の中にあっても、やっぱり報われなさが印象に残るキャラクター。

マイアミ2では、人生の絶頂から叩き落される様子がしばしば描かれる。ヘンチマンもその一人だ。

「長生きしたい」という理由でマフィアから足抜けし(「マフィアからの足抜け」も盛大な死亡フラグに見えたのだが、そんなことはなかったぜ。ザ・サンって本当にいいボスだよね)、餞別がわりに大金を手に入れてガールフレンドと幸せに暮らす。

それが彼の描いた夢だった。悪夢にとってかわられてしまったが。

夢のなかで、札束をまき散らしながら赤いコンバーチブルを颯爽と走らせるヘンチマン。あの札束こそが彼の寿命の象徴で、彼はそれをすべてまき散らして亡くなった。1ドルも使うことなく。彼は自分の命を自分のために生きた時間はどれくらいあったのだろうか。ただザ・サンのために、そしてメアリーのために生き、死ぬときはたった一人。

だがリチャードは、彼の道に先がないことを彼自身もわかっていると示唆していた。組織を離れて平和に生きていくことなどできないと、彼もどこかでわかっていたのだろうか。マフィアが「長生きしたい」などと思ってしまった時点でもう「おしまい」なのだと。

 

ちなみにヘンチマンが足抜けを希望したのは、ザ・サンがコロンビアマフィアのストリップクラブの開店パーティに殴りこんだ三日後。クラブを壊滅させた後、ザ・サンは祝杯をあげるがヘンチマンは酒を断って帰宅する。その際ザ・サンは「メアリーに何か買ってやれ」と金を渡している。

この件がヘンチマンに「もうやめよう」と思わせるきっかけになったのだろうか?

ザ・サンは(おそらくはいつもどおり)頼もしい仕事ぶりだし、部下に配慮もみせているし、この件だけ見るとなぜヘンチマンがやめようと思ったのかよくわからない。

このときザ・サンはメアリーの裏切りをほのめかしていた。それがヘンチマンには地雷だったのだろうか? あるいは本当に裏切られる前に彼女に尽くそうと考えたのだろうか?

なんとなくどれもしっくりこなくて、わたしは結局のところ「年をとった」ことが漠とした原因になったのかなと思っている。

同期(マフィア界にそんな概念があるのかどうかは知らない)はほとんど死んでしまい、最初に忠誠を誓ったザ・ファーザーももういない。ジャケットくんによって一度は壊滅した組織も、2年かけてどうにか立て直すところまでいった。もう自分はいなくても、ザ・サンも組織もやっていける――そんな考えが、じわじわと彼の中に広がっていったのかもしれない。だから「いつ」とか「なぜ」とかを考えることにあまり意味などないのかも。

若い頃は「長生きしたい」なんて考えなかっただろう彼が、「長生きしたい」と平和を望んだ途端に裏切られ、死んでしまう。やはり「長生きしたい」は死亡フラグである。

1989年にジャケットくんと鉢合わせなかったというところで、彼は運を使い果たしてしまったのかもしれない。

 

ただヘンチマンはメアリーの裏切りに落胆はしたものの、どこかでそれを予感していたようにも思えてならない。

夢の中で、彼女は車に乗っていなかったから。リチャードに指摘されるまで、それに気づきもしていないようだったから。

つながらない電話をかけ続けながら、彼は何を思っていたのか。あそこでザ・サンには一度も電話をかけないあたり、もうマフィアとは完全に縁を切るのだという決意が感じられる。

ザ・ファンズに殺されるときの「ジャングルに行ってみたかったんだ」というセリフが悲しい。ヘンチマンは猫も飼っていたし、動物が好きだったのかもしれない。

そしてそのセリフが薬で錯乱状態のザ・サン視点でのザ・ファンズとの対決シーンに活きるのがとてもよい。ザ・ファンズはきっと、ヘンチマン視点でもあんなふうに見えていたのだろう。

 

ザ・サンはヘンチマンに対してどれくらい執着を持っていたのだろうか。やめた部下に対して持たせる餞別の大きさや、やめた後まで電話をして現状報告までしているあたり、相当目をかけていたのだろうということはわかる。

しかしそのザ・サンがヘンチマンの死にまったく気づいていないというのがなんだか物悲しいし、まあ実際そんなものだよなあと思ったりもする。虫のしらせだなんてそうそうない。離れていった部下が、マフィアの抗争とは無関係に死んだなんて知るよしもないのだ。

しかしそこのところを的確に突いてくるリチャードである。本当にあの妖怪チキンは意地が悪い。あんなことを言われたって上映会時空のザ・サンにはきっと何のことかわからないだろうに。

 

ザ・サンとヘンチマンが組織を立て直すまでの、1989年から91年までのスピンオフが見たい。見たい……けど、結末が離ればなれの上の死なので見てもつらいだけかもしれない。

そして結局ロシアンマフィアは50の祝福のことを察してすらいないまま、再び壊滅してしまったということだろうか。それでいいのか。

またソ連の核は、アメリカ国内にまだ残っていただろう同胞たち(ヘンチマンの自宅で読める記事に、マフィアだけでなく一般のロシア人も襲われているという記事が読める)まで一緒に焼いたということになるが、それでいいのか。

もしザ・サンが錯乱せずあのままマイアミを手中に収めていた場合も、待っているのは爆発エンドである。救いはどこにもない。

一連の暴力のやりとりの末にあったのは肉体というよりは精神的な問題による自滅で、それもこれも全部がさらに大きな暴力に呑み込まれてすべて消えてしまった。

「力とは何か」なんて哲学的な問いまで浮かんでくる。

 

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