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恋する青年の信仰告白「ペイン Buddy Boy」感想

エイダン・ギレンの若い頃の作品を見ようキャンペーン中。

「ペイン(原題 Buddy Boy)」は1999年の作品だから、30代になったばかりのギレンさんが拝める。「ファイナルステージ」よりさらに若い。

吃音があって繊細そうでいかにも薄幸そうな主人公フランシスは、「ファイナルステージ」のデイヴ・ターナーと同じ顔なのに完全に別人。表情も幼くて、とても30代には見えない。

 

この映画、パッケージには「戦慄のサスペンススリラー」と書かれているから、たぶんサスペンススリラーなのだろう。

しかし見た人の大半は「ここで終わり!?」と叫び、その後8割以上の人が「何が何だか……」と呟くことになるのではないだろうか。わたしのことである。

まとまった感想をひねりだすことすら難しい映画なわけだが、このジャンルに詳しい人ならもっとまともな感想を書けると思うので、どうかお願いします

以下はネタバレ感想だが、見てない人がこれを読んでも意味不明すぎてあまりネタバレにならないと思われるので、これからすぐに見る予定の人以外は読んでも構わないような気もする……が、ネタバレせずに見た方が驚きが大きいだろうと思われるシーンはあるよ! とは言っておく!

 

 

 

オマージュ的シーン?

とりあえずわたしにもわかるところからいってみよう。この映画には、過去の有名なサスペンス映画へのオマージュ的なシーンがちょいちょいはさまれている。

とはいえわたしはそんなにその手の映画を見ているわけではないので、わかったのは「羊たちの沈黙」と「裏窓」と「サイコ」くらいだった。

グロリア宅の冷蔵庫に貼られた蝶は「羊たちの沈黙」で、これはフランシスが彼女に見るカニバリズム妄想(たぶん)を連想させる。

フランシスがカメラを持って覗きをするのは「裏窓」の主人公を思わせるし、それ以上にフランシスが覗く風景がとても「裏窓」的。

そして何より、フランシスと「母親」のあり方は「サイコ」を思わせる。そう言われてみると、フランシスにはノーマン・ベイツ的な雰囲気も感じられるような。ノーマン・ベイツも覗きをしていたし。

 

メインストーリー

ここからはこの話のメインストーリーについて、まずは一応こういうふうに解釈できるかな? と思えるものを書いてみる。

信心深い家で育ちカトリック的価値観を植え付けられたフランシスはしかし、確固たる信仰心を持てないまま大きくなった。とはいえ告解に来いと言われれば行くし、「汝、姦淫すべからず」も含めて戒律は守っていたようである。

そんな彼が思いがけず仲良くなったグロリア。彼女はフランシスにとって信仰を揺らがす存在だった。「汝、姦淫すべからず」の戒律も早々に破ってしまう。その後、告解室で「淫らなことをしました……」と告白するフランシスの痛々しさときたら。

しかも彼女は菜食主義者。

キリスト教徒であるフランシスにとって、そもそもすべてのパンとぶどう酒はキリストの血と肉である。逆に言えば、キリスト教思想には、その根本にカニバリズム的なものが含まれている。菜食主義者とは相いれない。特にワインは飲むくせに肉は拒絶するなんて、フランシスには矛盾に感じられるだろう。またフランシスには彼女が、彼の言う「神の愛」を拒絶する者に見えただろう。

だからフランシスはグロリアを信用できない。彼女を「信仰する」ということは、キリスト教を捨てるということだ。本来両立できるはずのものが二者択一になってしまう、フランシスの悲劇はここにある。

そんなストレスから生まれたのがあのカニバリズム妄想である。

とはいえフランシス自身もあれが妄想であることはわかっており、彼は自分を愛さない神を捨ててグロリアとの愛に生きることに決めました! おしまい!

……というのがおおまかなストーリー? かな?

あとなんかバスで出会う謎の少年だったり、誘拐された少女だったり、神父さんが告解室にいない疑惑だったり、お母さんがお兄さんだったり、なんかいろいろとサブクエストを途中まで進めて放置したゲームみたいなことになっている気がするが、考えるヒントが少なすぎるのでまとまったことは書けない!

 

排水溝の謎

ところが、である。

最後に出てきたあの排水溝。あれ本当に何なの???

彼女の部屋は1階じゃないのに! あんなものがあんなところにあっては、これまでの前提が全部ひっくりかえってしまう。いったい何を前提として考えればいいのか? もはや問題の出発点はここからである。

そんなわけで、ここからは何を前提とするかによって場合分けして考えてみたい。

 

1. 排水溝はフランシスの妄想だよ説

これがいちばん平穏(そうか?)なパターンだろうか。

あんなふうにグロリアに対する信仰告白をしたものの、結局は彼女のことを信じられていないフランシスは、死体の隠し場所を妄想してしまったのである。

 

2. 排水溝にはグロリアの捨てた死体があるよ説

実はフランシスが見たグロリアに関する「妄想」はすべて事実だった。

彼女は男を部屋に呼んでは殺して食い、あの排水溝に死体を捨てていた。

なおこのあとはフランシスが食べられてしまう。

 

3. グロリアの存在ごとフランシスの妄想だよ説

もともとあんな女の子はいなかった。

全部あの部屋で自慰中のフランシスの妄想だった。

これも割と平穏なパターン。

 

4. グロリアと仲良くなったのはフランシスの妄想だよ説

グロリアは実在するが、仲良くなったのはフランシスの妄想。

全部あの穴の前で覗いているフランシスの妄想だった。

これは割とありえる気がする。

グロリアとの最初の接触からして妄想くさいシチュエーションだ。その後の彼女からのアプローチも相当不自然。

長い間おふろに入っていないフランシスはかなりくさかったはず。特に物語後半は。一緒に寝ているグロリアがその点を一切指摘しないのも不自然なのだ。

 

5. フランシスはもう死んでるよ説

序盤の階段落ちでフランシスは死んでしまい、以後は死ぬ前の一瞬で見た妄想だった。

最期にあの穴から見えた彼女が妄想を形作った。

もう全然救えないな!

 

6. グロリアはもう死んでるよ説

最初の接触か最初に彼女の部屋を訪れたときに、フランシスはグロリアを殺してしまった。以後は、そのことを認めたくないフランシスによるつじつま合わせのための妄想。

彼女は生きていると自分に思わせたいので、身だしなみも整えて「彼女」に会いに行く。

しかし最後に排水溝に捨てられたグロリアの死体を見つけてしまう。

なおこの場合、たぶんあの神父さんも殺されている(「ペイン」を見たあとに「ファイナルステージ」を見て、やっぱり普通は告解室の反対側には神父さんがいて話を聞いてるもんだよな! と思うなどした)。

 

兄弟の過去の謎

あの兄弟(だよね?)の過去も、謎が多すぎる。こっちも詳しく場合分けして考えてみてもいいのだが、あまりに本編にヒントが少ないので輪をかけてわからない。

お兄さんは女装、フランシスは覗きをするようになった原因が、フランシスの話す「火事」にあるのだろうか。

だが「火事」というのもフランシスの作り話かもしれない。実際には両親を一度に失い、お兄さんが両足を失うことになった「事件」があって、それが彼らの性的倒錯の原因になったとか。詳しく聞きたいところだが、結局よくわからない。

 

案の定とっちらかった文になってしまったが、少しでも次に見る人の参考になれば幸いである。

 

ssayu.hatenablog.com