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過去との和解「アベンジャーズ エンドゲーム」感想

ここのところ、エンドゲームとゲームオブスローンズのおかげでメンタルを揺さぶられすぎてボロボロなのだが、そんな人が世界中にごろごろ存在しているに違いない昨今である。平成最後、地球でもウェスタロスでもいろいろなことがあったなあ。

さてそんなことを振り返りつつ、今日はアベンジャーズの感想。

前回の記事で今作のタイムトラベル理論について整理してみたが、あれから監督のコメントなどでだいたい情報が出そろってきたようである。

今日は普通に感想とか物語構造とかを考えてみたい。

最初からネタバレ全開につき注意!

 

 

 

ストレンジ先生の取捨選択と決断

わたしが真っ先に感情を揺さぶられたのはここだったりする。

あらゆるフィクションにおける未来視が可能な人の宿命と言ってもいいのだが、未来が見える人は時として、非情な選択を迫られる。死ぬとわかっている相手に何も言えないまま、ただ黙って死地に送り出すしかない場面はその筆頭だ。

インフィニティウォーのストレンジ先生は、エンドゲームにおけるトニーの結末を知った上でこの未来を「選んだ」。もちろんこの結末以外の14000605通りの未来においては、全宇宙の生命の半数は消えてしまっている。ストレンジ先生はあのときサノスに石を渡した時点で、トニーの命を「捨てて」、ほかの多くの命を「選んだ」。なんという取捨選択だろうか。

彼にとってもきっと苦渋の決断だっただろう。

 

過去との和解

エンドゲームは非常に複雑なシナリオだ。あれだけの数のキャラクター、しかもそれぞれに個性も魅力もあるキャラクターたちを動かし、それぞれに見せ場も結末も用意しなければならないのだから当然といえば当然なのだが、もうそれだけで気が遠くなりそうだ。しかもこれまで作り上げてきたMCU作品の集大成としての物語に仕上げなければならない。ハードルはめちゃくちゃ高かった。

しかし彼らはそれをやりとげた。無理ゲーとしか思えないようなことをやってのけ、しかも納得感のある結末に仕上げてくれた。これまで長い間MCUを追ってきてよかったと思える作品になっていた。

ここまでが前提。

で、ここからが本題なのだが、エンドゲームは非常に複雑なシナリオでありながら、同時に非常にわかりやすくもある。いや、Back to the Future 型でもシュタゲ型でもないタイムトラベル理論を持ちだしたためにその整理だけで混乱をきたすシナリオではあるのだが、そこはおいといて、キャラクターの心情的な部分に寄り添うととてもわかりやすいシナリオだった。

つまり主要キャラがどのキャラも「過去との和解」をテーマに描かれている。この「過去との和解」という串が全体を貫く串焼き型プロットのおかげで、統一感もあったし、わかりやすかったし、それぞれの選択にも納得感があった。

 

ハルクと和解したバナー。

バトルロイヤルを見て以来、バナーとハルクの関係がどうなるのかは気がかりでしょうがなかった。ハルクが消えるわけでもバナーが消えるわけでもなく、ふたりが共存の道を選んだことは、(あの外見のままでいいのだろうか……という外部からの余計な心配はともかく)(本人がセルフィせがまれてまんざらでもなさそうだったから、まあいいのかな)ともかくほっとした。

アベンジャーズ」時代のハルクの暴れっぷりが、もはや懐かしい。本人的には黒歴史なのかな……。

 

「本来の自分」と和解したソー。

あの腹には劇場で大変なショックを受けたが、そして結局最後まで戻らなかったことに逆に驚いたが、今まで常に王としての風情をたたえていた彼がその荷をおろしたとき、あんなふうになるのかと……まあ、納得した。そして今まで抱え続けてきた荷の大きさのことを思った。

ビールが大好きでネトゲが大好きで、泣き言だって言いたいし母親との別れはつらい。王としての立場から離れたとき、やっと彼はそんな「本来の自分」と和解できたのだろう。それはきっと彼にとって新たな強さになる。

どうやらこの流れだとガーディアンズオブギャラクシーの次回作出演が期待できそうな雰囲気なので、これからの活躍を楽しみにしておこう。

 

ナターシャについては、具体的にどんな「過去」と和解したのかはわからない。それはおそらく今後公開されるというブラックウィドウ映画で語られる。

彼女の過去が何であれ、彼女はそれと和解し、前を向いて生きていくことに決めた。

彼女の結末がああなると、それでは彼女はいったいどんな「過去」と和解できたのか気になってしまうではないか。うまい商売である。

彼女がアベンジャーズという「家族」を手に入れる物語になるのかな。

 

ナターシャの「過去との和解」を受け継いだクリント。

彼はナターシャの過去をある程度知っているようだったし、彼女の「過去との和解」の意味も理解していたはず。そしてそれを受け継ぐことの意味もわかっていたはず。その上でそれを受け継ぎ、覚悟を決めた。

ナターシャが「家族」を守ったおかげで、クリントは「家族」のもとに帰ることができた。

 

「父なるもの」と和解したトニー。

ハワードとの間に抱えていたものは、1970年に飛んだことで理想的な形で解消された。

トニー自身が「父親」になるということに対して抱えていた不安感、自分はそんなことをしてもいい人間なのかという疑問も、同時に解消された。

あまりにも美しい「和解」だった。彼の物語を閉じるのにふさわしいくらいに。

 

「置き去りにされた過去」と和解できなかったスティーブは、最後の最後に和解する。

1970年の描き方で、多くの人がトニーとスティーブの最後の選択を予感して覚悟を決めたはず。だからこそふたりの結末に納得し、祝福できた。

あの1970年のシーンは石をめぐる冒険というシナリオから見ると蛇足感もあるのだが(「アベンジャーズ」無印時代で解決してしまってもシナリオ上そこまで問題はなかったはず)、トニーとスティーブの物語をしめくくるためには、絶対に必要だった。

 

一連のMCU作品のしめくくりであり、同時に何人かのキャラクターの「卒業」と「次の作品のための布石」でもあったエンドゲーム。

考えれば考えるほど、よくそんなシナリオを組み立てることが可能だったよなと思えてくる。それほど、要求されるものが詰め込まれまくった話だった。

どう考えても次のガーディアンズオブギャラクシーは見ないといけないし、ブラックウィドウ映画だって気になりすぎるし、ロキのドラマも絶対にはずせない。うまい商売だなあ!!!

まだまだ当分はMCUを追いかけて楽しめそうだ。

 

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