なぜ面白いのか

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オオカミとドラゴン「ゲームオブスローンズ」8-5にそなえて

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https://twitter.com/GameOfThrones/status/1126161652188176388

二点が決定されれば直線を引くことができるのと同様に、二点が見えればキャラクターのその後の行動もある程度見える。たとえばGoT 1-1から1-4までを見れば、ネッドの最後の決断がどうなるかはほぼ見えるように。

だがGoTのキャラたちは必ずしも直線的には動かない。あるキャラと別のキャラが出会うことにより、折れ線グラフのように行動指針が変わることがある。例をあげればきりがないが、ブライエニーと出会ったジェイミーや、ラムジーと出会ったシオンのように。シオンについては1-1からラムジーとの出会いまでが直線で、さらにラムジーとの出会いからサンサを助ける場面という点をつないだ先が8-3の結末だった。

もう物語も最終フェーズに入って、8-1と8-4で折れ線グラフの最後の二点がほぼ見えたように思う。その先にもうひとひねりほしいキャラも何人かいるが、おおむね。

その中でわたしはずっとジョンの向かう点が見えなかった。この人はずっと変わらず「スターク」なんだよなあと。しかしちょうどわたしが明日の5話のことで何か書くかとPCを開いたタイミングで、ブログに面白いコメントをいただいた(どんぶりさん、ありがとうございます!)。

裏切りのウィンターフェル「ゲームオブスローンズ」8-4感想 - なぜ面白いのか

このコメントで、ジョンのための最後の点が少し見えたように思う。

そのあたりのことを考えつつ、残り二話についてあれこれ考えてみたい。

ネタバレ注意(ここまでの話も大概ネタバレか)。

 

 

 

ジョン・スノウも「スターク」をやめるのか

これまで散々、いつ「スターク」をやめるんだよお……と言ってきたジョンだが、ここにきてやっとその兆しが見えたのかもしれない。せっかくなのでいただいたコメントを一部引用してみる。

さて、最終章始まってずっともやもやしてるジョンですが、今回の大狼との別れが彼の変化の兆しになるのではと期待しています。
他の兄弟を思い返すと、大狼の死・別れが「スタークではなくなること」につながっています。ロブ・リコンは本人も大狼も殺されてしまいましたが、サンサはS1でネッドに大狼を殺されて以降成長していきましたし、アリアも大狼と別れてから様々な冒険をして「顔のない男」になりました。ウェスタロスに戻ってきたアリアがナイメリアと再会しながら、行動を共にしなかったのは「もうスタークではないから」でしょう。ブランの大狼は彼を守るようにして死者に殺され、以後、ブランは三つ目の鴉に変質しました。
こうしてみると、ジョンも「エイゴン・ターガリエン」として生きる覚悟を固めたと期待していいのではないでしょうか。あ、でも、ロブ・リコンルート(死亡フラグ)の可能性もありますね(急に自信がなくなる)。

ダイアウルフが「スターク」としてのアイデンティティを生んでいることについてはこれまでも指摘してきたが(だからシオンの分もダイアウルフが生まれていれば、五王の戦いは違った展開だったように思う)、ダイアウルフとの別れが「スターク」をやめるきっかけになっていることについては思い至らなかった。

特にサンサについて! 確かにサンサはあのときから徐々にジョフリーへの不信感を抱き始め、いわゆる「スタークらしい女性」と違う方に成長を見せ始めた。キングスランディングにいる間からサンサは彼女なりの強さを見せていたが、その最初のきっかけがレディとの別れにあったのは間違いない(彼女の強さがひとつの方向性を持って結実したのが、月の扉事件後にリトルフィンガーをかばう証言をするシーンである)。

アリアとブランについてもまったくそのとおりだと思う。

で、ジョンは今回ゴーストと別れた。ここのところ姿が見えず(北のマグ7回のときとか、活躍できたと思うのだが……あ、最終的にドラゴンにしがみついて逃げるのが困難だからいなかったことにされた?)空気化が甚だしかったゴーストだが、バトルオブウィンターフェルで久しぶりの活躍が見られた。あれは単なるファンサービスではなくて、その後の別れを描くための再登場だったのかもしれない。つまり、ジョンもまた「スターク」をやめることを端的に示したかったのかと。

サンサとアリアに自身の出生を告げるにあたり、ジョンは彼女たちのことを「家族だ」と語る一方で「スタークだったことはない」とも言っていて、初見時はどっちなんや! と思ったものである。

いや、確かに彼は「ジョン・スノウ」であって「ジョン・スターク」であったことは一度もない。視聴者視点では誰よりも「スターク」に見える彼だし、「北の王」となった彼のことはもう周囲の人々も「スターク」として扱っているはずだが、それでも彼の自意識は「スターク」であったことはない。

そして彼はサンサとアリアに自らの出生について告げる。いや、告げない。告げたのはブランである。ここについてはああん? という気持ちを抑えられない。なんで自分で言わないの???

あそこで再度、事態を最初から語る場面を入れると間延びするからさくっと場面転換したかったのはわかる。あそこでジョンが「実は……」と言って終わるよりは、姉妹とブランの表情が見えるカットで終わった方が場面が引き締まるのもわかる。

でもやっぱり自分で伝えるべきだっただろう、あれは。特に、もしかしたらこれから王になるかもしれない人なら。いや「王になる気はない」んだったね。いや~なりたくなかったんだけどなんかみんながやれって言うし血筋的に正当性もあるみたいだし仕方ないな~みたいな流れで玉座についたらいやだなあ!(わたしはジョンがナイツウォッチ総帥になったのも北の王になったのも、いまいち納得できていない)まあさすがにそれはないだろう。

ジョンはサンサやアリアが身につけた強さを一向に理解しないが、あの言葉のすれ違いを見るに、サンサやアリアもまた、ジョンの抱え続けた孤独をわかってはいない。このまますれ違ったまま終わるのだろうか。

そういえばGoTが始まって以来、誰かと誰かが理解し合えたことなんてほとんどない。人と人は理解しないまますれ違い、理解し合えないまま死んでいく。そして理解し合えなくても「家族」だし、理解し合えなくてもセックスできる。リアルである。

もうひとつ、これまでずっとネッドを行動の規範にしてきたように見えるジョンが、今回「秘密を守らない」という形でネッドと違う行動に出た。ここも「スターク」との決別の現れなのかもしれない。

ジョンにとって「ネッドが嘘をついていた」という事実は(それがジョン自身の命を守るためであったとはいえ)、世界観をひっくり返すほどの衝撃があったのかもしれない。これまでいくつかの「親殺し」エピソードを経験してきたジョンだったが、ここにきてようやく、真の意味での(いや真ではないんだけど)「親殺し」が成ったのか。

GoTにおける「親殺し」モチーフについて、詳しくはこちら。

ssayu.hatenablog.com

一方わたしは番組を見始めて以来ほとんど初めて「ネッド・スターク偉大なり」と思った。一人にでも漏らしたら、あとはもうみんな知っているのも同然だ。だからネッドは浮気野郎の汚名をかぶってでもジョンの秘密を守った。

秘密を守らない+姉妹に出生の秘密を告げる+ゴーストと別れるのコンボで、ジョンが「スターク」をやめる下地は一応できたように思える。

ただし、それなら彼はこれから「ターガリエン」になるのかと言われれば、そこは少々疑問である。なにしろジョンにとって「ターガリエン」のモデルケースはデナーリスひとりだ。ネッドの父と兄(子供の頃のピーターを決闘で負かしたブランドン)を処刑した狂王エイリスの話は聞いているかもしれない。いずれにしてもジョンが進む方向としてはいまいちしっくりこない。近親相姦する家風はすでに受け継いでいるが。

スタークとターガリエンは、エイリスとネッドの関係で見ると敵同士だ。一方レイガーとリアナは愛し合っていた。ジョンにはどちらの路線も用意されている。

 

デナーリスの孤独

4話の打ち上げシーンのデナーリスはなかなか心が痛かった。飲み会の席でまわりに話す人がいない人みたいになっちゃってるじゃん!! いやまったくその言葉どおりの姿なんだけど。

北部の連中は彼女を慕わない。そして今までならこんなときそばにいてくれたであろうジョラーはもういない。

一般人にとってドラゴンクイーンの存在は畏れ多いため、気軽に話しかけることができないという部分はあるかもしれない。わたしはポッドちゃんとデナーリスの絡みが見てみたかったのだが、彼の立場でデナーリスに「歌でもいかがですか」と話しかけるのはハードルが高い。ポッドちゃんは娼婦を連れてご満悦。若干胸が苦しいが、これは仕方ない。

しかしホスト側はもう少し気を遣ってやれよと思わなくもない。特にジョンにとっては、デナーリスが北の民と距離を縮めるのは歓迎すべきことのはず。ふたりで一緒に戦いの功労者を労ってまわるなどすれば、スターバックスウィンターフェル支店に頼らずともすんだのではないか。

アリアはデナーリスについて「彼女が必要だった」と言ったあと「彼女の軍とドラゴンが必要だった」と言いなおしている。その上でアリアは「あなたのクイーンは信用できない」と断言する。これは北部の人々の見解を概ね代表していると言っていいのではないだろうか。しかもかなり公平かつ好意的な方の見解だ。

彼女の指摘は重要だ。北部が必要としたのは「軍とドラゴン」であり、デナーリス本人ではない。形としてはデナーリスに感謝を向けるが(彼女の決断がなければ軍もドラゴンも来ないのだし)、実際に感謝を向けているのは軍とドラゴンに対してである。北部人にとって、デナーリスはあくまで「親切な侵略者」だ。

ドスラク軍とアンサリードが大幅に人員を減らし、ドラゴンを失った(これ来週ドロゴンも墜ちるのでは?)彼女に、果たして人はついてくるのか。ジョン以外で。

 

追い打ちをかけるように、彼女はレイゴルもミッサンディも失う。初期から彼女と苦楽をともにしてきたメンバーは、もうグレイワームくらいだ。あとは彼女を信じようとするものの自分でも信じきれていないことがわかっているティリオンと、ほぼ彼女を見限ったヴァリスくらいか。

前の記事でヴァリスはすでにデナーリスを裏切って情報を流したのかもしれないと書いたが、見直してみるとユーロンに攻撃されたのはデナーリスに最後通告ともとれる「アドバイス」をする前だったので、やっぱりあの時点では裏切ってないかなーという気がしている。せりふは覚えられるが前後関係を覚えられないわたしである。

デナーリスは「サーセイが虐殺を回避しようとした私の申し出を断ったことを人々が知るのは悪くない話ね」「滅亡の責任を負わせるべき人物を知る必要がある」と言っているから、現時点でキングスランディングを燃やす気は満々だ。

本当に燃やすの? やっちゃうの? それをやると、彼女はもうかつての狂王ポジションになってしまう気がするが。それを普通は闇堕ちという気がするが。

デナーリスの危険性は、S7からじっくりと描かれてきた。それが身を結んでしまうのか? ティリオンもジョンも止められないのか?

キングスランディングを焼き払うデナーリスが見たいか見たくないかで言えば見たいのだが、本当にそうなるのか、ここまできてもわたしはまだ確信がない。流れがストレートすぎないだろうか?

どちらかというと、完全に闇堕ちする前に、来週ドロゴンもしくはデナーリス本人が死ぬ方がありえるような。

ssayu.hatenablog.com

この記事でも語ったように(なんかもうこれを書いたのがはるか昔のことに思える……あれから本当にいろいろなことが起こったなあ)、ここまでの描写を見る限り、デナーリスがサーセイに勝てるとは思えないのだ(ちなみに物理的な意味で彼女に勝てるとしたら、予言通り「弟」か、もしくはアリアだろう。いやアリアが殺す「緑の目」はデナーリスかな?)。

サーセイはようやく自己肯定からの自己実現を果たしてクイーンになった。

ではデナーリスは? クイーンになることを「運命」だと言い、そこに個としての意思を感じない彼女は?

デナーリス・ターガリエンとは何者か。なにがきみのしあわせ? なにをしてよろこぶ? わからないまま玉座についていいの?(急に召喚されるアンパンマン

着実に手足をもがれている感のあるデナーリスだが、できればあっさり死ぬよりはもう一度すべてを失ってみてほしい。兵もドラゴンも失った彼女についてくる者はいるのか? という問いに対する答えを、ぜひ作中で示してほしい(ひどいファンである)。

 

サンサを待つ未来は

S8が始まって以来ずっと感じていたのだが、ジョンとデナーリスは両方死んで、残ったサンサがウェスタロスを統べることになりはしないだろうか。冒頭で「二点が決定されれば直線を引ける」と書いたが、わたしが8-1から8-4まで見てきて感じた二点はずっとその同じ方向を指し続けている。もちろんこれはGoTなので、ここからさらに直線が折れ曲がる可能性は十分にある。というかそれも見たい。

サンサは「戦う場所は北でも南でもない、『ここ』である」というリトルフィンガーの教えを忠実に守っている。だからこそ強い。彼女には目指すべきもの(=北部の安定と平和)がはっきりと見えており、そのために必要なものもわかっており(=北部の独立性、あと物資の確保!!)、愛とかいうあやふやなものに心を惑わされたりもしない(つよい)。

そう、サンサには「愛」という弱みがない。デナーリスやかつてのサーセイのような母親としての愛情も、恋愛的な意味での愛情も、今の彼女は抱えていない。ただし家族愛はある。そして彼女の持つ「家族愛」のあり方は、8-3で示されたとおり。彼女は家族が死ぬ危険性をわかっていながら送り出すことができるし、自分がいることで邪魔になると思ったら無理はしない。

彼女は純粋に「統治者」として、庇護すべき者たちのことを案じている。彼女が漠然と抱えていたかもしれない愛情は、ピーター・ベイリッシュにお礼と別れを告げたときに流した涙とともに封印された。あるいは「『ここ』を守る」という強い意志に変換された。

GoTに限らずさまざまなフィクション作品において、女性の為政者キャラがなにかというと「母性」的な概念と結びつけられがちななか、サンサの描き方は際立っていないだろうか。

特にS6以降、ここまでGoTは女性の描き方に強いメッセージ性を打ち出してきた。それが世界にどれほどの影響を与えているか。おそらくそれが真にわかるのは10年以上たってからだろうが、ともかくスタッフも自分たちのメッセージが与える影響のことは意識しているはず。その上で、そのGoTの中でも特に新しいと感じられる女性像がサンサなのだ。

今残っているキャラクターの中で、誰を勝者にするのが最もメッセージ性が強いか。少なくとも現時点までの描写を見る限り、それはサンサだ(これは完全にわたしの主観であるため、視聴者の生い立ち、社会的立場などにより見解が分かれることはわかっている)。

このあと何がどうなればサンサが勝者になるのかについては全然わからないが、ジョン、デナーリス、サーセイが全員死ぬ可能性はおおいにあるとわたしは思っている。サーセイとデナーリスがぶつかって、勝った方とサンサが最終対決する展開とか、めっちゃ見たい。サーセイ対サンサもデナーリス対サンサも見たい。

ただし何がどうなろうとも、鉄の玉座はなくなるような気はしている。誰かが鉄の玉座について「次のキング/クイーン」になって終わり、という話ではないように思う。

そういう意味でも、わたしはサンサこそが「勝者」にふさわしい気がしている。だってデナーリスが勝てば「鉄の玉座につく」という当初の目的を普通に達成しそうだし、ジョンが勝っても「じゃあ自分ターガリエンなんで、鉄の玉座いいっすか?」ってなりそうだし。「ここ」を守る、つまり今自分が生きる場所を大切にする、そこに生きる人々を大切にするサンサであれば、玉座には固執しないのではないだろうか。

(次週の戦いでレッドキープがドラカリスされて玉座が跡形もなくなり、デナーリスやジョンが玉座につこうとしても玉座ないじゃんってことになる可能性も普通にある)

長々と書いたが、結局わたしは「リトルフィンガーの弟子」が師匠の望みを部分的にでもかなえてくれるところが見たいのだ。

 

次回予告

最後に次回予告を見て気づいたことを少々。

はっきりと横顔が映る人物がふたりいる。ティリオンとサーセイだ。

ティリオンは左向きでサーセイは右向き。わかりやすい対立構造だ。

そして左を向くティリオンの背後には、右向きのドラゴンのレリーフ。おそらくティリオンもデナーリスから離れていくことを暗示している。

ドラゴンとサーセイは同じ方向を向いている。デナーリスとサーセイ、やろうとしていることは同じということか。

やっぱり次回まとめて全員死んでもおかしくないな!

最後のユーロンは、今さらドラゴンが飛んでいるのを見てもあんな驚いた顔にはならないだろうし、ドロゴンが鎧的なものを着ているのでも見たのだろうか。ジェンドリーが一晩でやってくれました

 

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