なぜ面白いのか

見たもの触れたものを保存しておく場所。映画、ドラマ、ゲーム、書籍の感想や考察。

彼女は「狂王」か「ゲームオブスローンズ」最終回感想

f:id:ssayu:20190523211027j:plain

https://twitter.com/GameOfThrones/status/1130895609974722560

もう月曜の夜になっても新しい「ゲームオブスローンズ」が始まらない……。

おかげで平穏な週明けを迎えられるようになったが、同時に物足りなさもある。毎週の阿鼻叫喚、楽しかったなあ。

さてそんな思い出を振り返りつつ、今日のテーマはまたしてもデナーリス。

記事タイトルがネタバレな気もするが、気にしないでほしい。

以下ネタバレ全開につき注意。

 

 

 

 

デナーリスは「狂王」か

結論から言うと、わたしは彼女のしたことを「狂気」の末だとは思っていない。

ただし「狂王」の再来としての意味はあると思っている。

現在、さまざまなメディアが彼女を "Mad Queen" と呼んでいる。

time.com

タイムさんまで!

この記事でがっつり語ったとおり、デナーリスはS1から一貫してあんな感じだった。彼女は急に「狂王」になったわけではないし、もし彼女を「狂王」と呼ぶなら最初からそう呼ぶべきである。

最終回のデナーリスも特に「狂気」の演説とは感じなかった。ごく一般的な侵略者マインドである。歴史上よくあったやつ。まったく同じ演説に勇壮な音楽をつけて流せば、高揚して歓声をあげる視聴者も普通にたくさんいると思われる。プロパガンダは見せ方次第だ。

彼女は「いっぱい殺しましたね、いっぱい壊しましたね」と皆を労い、その上で「これからもいっぱい殺しましょう、いっぱい壊しましょう」と語っている。それが「暴君による圧政からの解放」なのだと。

デナーリスが七王国を統べることが「運命」なのだとすれば、彼女の君臨を拒絶する者はみんな「悪いやつ」である。異なる価値観を持つ相手は「悪いやつ」である。彼女を愛さないのは「悪いやつ」である。ヴィランは最後のひとりまで倒されるべき存在である。ヴィランを根絶することで、人々は「解放」されるのである。「悪いやつ」が残っていては、「善良な人々」は安心して暮らせないもんね。そういう理屈である。

それを「狂気」と呼ぶべきか?

異なる価値観を持つ相手を排除する思想なんて誰でも当たり前に持っているし、異なる価値観を持つ「ヴィラン」が苦しんで死ぬのを見るのはとても楽しいしすっきりする。だからこそこういう「エンターテイメント」が成り立つわけで。

誰でも当たり前にデナーリスのようなメンタリティは持っているし、当たり前に彼女の思想に賛成できるし、実際にそうしてきた人たちをたくさん見た。

もし彼女を「狂気」と呼ぶならば、我々全員が狂気を抱えている。

彼女だけを「狂気」と突き放し「自分とは違う」と線引きをする行為は、自らの内にある「狂気」を直視できないことの表明のようにわたしには見える。彼女を新たに「異なる価値観」の「ヴィラン」に据えて、「ヴィラン」が倒されることで心の安寧を得るのだとしたら、その人の「狂気」はまったくそのままに存在することになるだろう。

とはいえわたしだってこれからもいっぱい殺したりいっぱい壊したりするエンターテイメント作品を楽しく消費する気満々なのだが、せめて我々は序盤でデナーリスに殺される側の人間だということはかみしめていたいのだ。

 

以下、その話の補足。

 

カール・ドロゴの演説

1-8でドロゴがウェスタロスへの進軍を決めたときの演説を見直してきた。

こっちの方が、最終回デナーリスの演説よりもよほどヤバい。

ドロゴのマニフェストは以下のとおり。

・キングスランディングに渡る
・鉄の鎧を着た連中を殺す
・石の家を壊す
・女を犯す
・子供たちを奴隷にする

いや~デナーリスたちはきっちりそのとおりのことをやりとげたね! あ、「子供たちを奴隷にする」だけはやってない。彼女は「解放」に来たわけだから。まあ子供もがっつり殺してたからどれだけ生き残ってるかわからないけど。

あのシーンでは皆がこれに賛同し、高揚していた。デナーリスも含めて。

視聴者にはわからない言葉での熱狂的な演説という意味でも、最終回のデナーリスの演説は1-8のリフレインである。

ちゃんと最初から「こう」だったんだよな、というところを確かめることができた。

 

 

ドラゴン以前説

彼女は「ドラゴンの母」になることで以前と変わってしまったわけではない説をもうひとつ裏付ける話。

1-10、「炎と血 Fire and Blood」というターガリエン家の家訓をタイトルにした回で、デナーリスはミリ・マズ・ドゥールを燃やした。ドラゴンがいなくても、そもそも彼女は最初から人を燃やすクイーンだった。

ミリを焼いたのは、ある意味でターリー親子を焼いたのよりもまずかった。

ミリはドスラク人に村を焼かれ、レイプされた被害者だった。その彼女を、自分に跪かないからといって焼くのは、個人的には8-5の虐殺よりもさらにひどいと感じる。

確かにデナーリス視点だとミリのせいでドロゴも息子も失ったようなものだったが、それでも。

この直後にデナーリスが炎からドラゴンとともに出てくる盛り上がるシーンのせいで視聴者的にはうやむやになったのかもしれないが、デナーリスは最初の一歩から割と取り返しのつかない非道をやっている。

せめてそのことを反省したり悔い改めたりすれば彼女に明るい未来もあったのかもしれないが、そういう描写もない。彼女は自分の行為を悔やまない。ガンガン肯定していく。もちろん周囲も止めない。それどころか彼女を崇拝している。そしてエスカレートしていく。

 

ミリを焼く以前の彼女は、ドロゴと息子との幸せな生活が望みだったのかもしれない。

兄の死を目の当たりにし(あのときも彼女は表情を変えなかった)、ドロゴと息子を自分の過ちで失ったあと、ミリを焼いた時点で、彼女は自身の「望み」ではなく「運命」に従うことにしたのだろうか。だから自ら炎の中に入った。

 

S1を見直すと、ちゃんと「現在」に至る物語が描かれているのに感心する。

もう一周すべきな気がひしひしとする。

 

ssayu.hatenablog.com