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破壊と創造の物語「アサシンクリード3」感想

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今さらながら「アサシンクリード3」をクリアしたので感想を書く。

なんとアサクリシリーズ自体が初体験である。なぜならPS3PS4も持っていなかったからである。それがスイッチで、つまりおふとんの中で遊べる(重要)となったので初挑戦したという経緯だ。いきなりの3である。

例によってアクションもステルスもヘタクソすぎてクリアまで時間がかかりまくったが、ともかくどうにかエンディングにたどり着けた。

いきなりシリーズの3作目からやるとわけがわからないのではないかと思ったが、薦められるがままに先に映画版を視聴したところ、大体の世界観は理解できた。「2時間でわかるアサクリ入門」として映画版は確かにおすすめできる。

これこれ。

しかしデズモンドくんパートについてはクリアした今もよくわかっていない部分が大きかったりする。いずれ過去作をやることがあればわかるかもしれない(PS4をついに買ったので!)。

そのへんをふまえての、主にコナーくんまわりの感想ということになる。

特にシナリオ後半、そしてクリア後にまであとを引くこのやるせない感覚……。

大好物ですね。

ここではこのシナリオを「破壊と創造」「収集と拡散」そして「親と子」の観点から語ってみたい。

ネタバレ全開につき注意。

 

 

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ボストン茶会事件前夜

破壊と創造

アサクリ3は古いものを壊し、新しいものを作る物語だ。そしてその功罪両面を描いた物語だ。

イギリスによる支配を破壊し新体制を創り出したアメリカ。

これまで暮らしてきた村を捨て、新天地に旅立ったモホーク族。

生まれ育った村をある意味自らの手で破滅に追い込み、しかし同時にホームステッドという新しい楽園を創り出したコナーくん。

親子の親愛の情を自ら破壊し、しかしそれによって次の世代が前に進むための力を与えているようにも見えるヘイザムさん。

メタ的には、旧作とは路線を変えて新たな主人公、新たなテイストのシナリオ、新たなシステムを生み出したUBIソフト(なんか3でだいぶ路線が変わったらしい、という話だけ知っている)。

どこを切り取っても、その功罪両面がきちんと見えるようになっている。

 

独立戦争を中から見るという体験はとても面白かった。たくさん歩き回って愛着のわいたボストンには、ぜひいつか行ってみたいと思うようになった。その際は茶会事件博物館にも行ってみたい。館内の土産物屋で紅茶が売られているらしいが、イギリス人がそんなの見たらマジギレしそう。わたしも茶葉を処分しなければならないあのミッションがいちばんつらかった(紅茶党)。だが茶会事件博物館に行った暁には、ぜひ茶葉投擲体験をやってみたい(きっと実際に投げるのは箱だけだから!)。

しかし独立戦争のあの描き方を見て面白くないアメリカ人はいそうだ。わたしにはとても中立的でいい描き方だと思えたが。特に現代イギリス人であるショーンによる各コメントがとても面白い。

独立戦争の功罪。独立によって得られたものと失ったもの。内部での権力闘争。結局誰も得しないような結論。

「ゲームオブスローンズ」を見たときにも感じたが、結局民主主義というのはみんなでクソを分け合って食べるシステムだ。誰も得しない、みんなが少しずつ損をするのを許容し合う(そのかわり少数の誰かが理不尽に大損(死ぬとか)を被るのを避ける)のが民主主義だ。そのことをまざまざと思わされた。

 

そして、村のみんなのためにあんなに、文字通り心身を削って頑張ったコナーくんが、結局村のみんなとのつながりを何もかも失ってしまう結末。物語後半からこのエンドはある程度覚悟していたものの、それでも人のいなくなったモホーク村を見たときは、コナーくんと一緒にしばらく茫然としてしまった。

ただこのシナリオの救いは、常に破壊と創造がセットになっているところ。殺伐としたメインシナリオと並行して進めるホームステッドミッションはあまりにも温かい。誰もがあの村を愛し、コナーくんを愛し、前向きに、力強く生きている。

ホームステッドの住人たちが、コナーくんとすれ違う際に「やあ、コナー!」と声をかけてくれることが、彼にとって(またプレイヤーにとって)どれほどの救いになったか。外では常にフードで顔を隠しているコナーくんにとって、堂々と顔を見せて歩けることがどれほどの安息になっていたか。このページのいちばん上に貼ったあの雪だるまを見つけたとき、コナーくんがどんな笑顔になったか。それを想像すると本当に泣いてしまう。

あの村はコナーくんの善性の象徴そのものだ。彼の優しさと、人を信じ愛する心の結晶だ。特に結婚式イベントの後にエレンが旗を広げたとき、わたしは彼女とそれから村人みんなに心からお礼を言いたくなった。あのときにはもう、メインシナリオが悲劇に終わるのは見えていたから。ありがとう、コナーくんのそばにいてくれて。ありがとう、コナーくんを愛してくれて。

コナーくんは「本来帰るべき場所」を失ってしまったけれど、自らの手で「新しい居場所」を作り出した。それはある意味で、彼の信じた人の善性や信頼関係、人と人との心の結びつきが、(少なくともあの世界の中では)決して幻ではないという証左でもある。メインシナリオでは信じることも人の善性も何もかもが否定されてしまったけれど、ホームステッドという「楽園」を彼自身が創り出したからこそ、コナーくんもプレイヤーも救われるのだ。

 

そんな過去編をふまえた上で、現代のデズモンドくんが世界の破壊と新世界の創造を選ばなかったところが、この話のポイントなんだろうな。

 

収集と拡散

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トイレをがまんできないコナーくん

アサクリ3は収集と拡散の物語でもある。

シナリオ序盤、ヘイザムさんは仲間を集める。ひとり、またひとりとあの酒場に人が増えていく様子に、わたしはわくわくした。あれはRPGにおける仲間集めの醍醐味そのものだ。

しかもそのひとりひとりが、実際に独立戦争期に存在した人物ときた。彼らが独立戦争の過程でどんな活躍を見せるのか? と期待も尽きなかった(わたしはアサクリ3に出てくる歴史的事件でもともと知っていたものといえば「ボストン茶会事件」くらいの人なので、ヘイザムさんチームが作中で果たす役割については全然知らなかった。まあネタバレせずプレイできたという意味ではよかった)。

しかし集まった仲間はやがてバラバラになり、失われていく。あの喪失感ときたら。自らの手で集めた仲間たちを、自らの手で殺めなければならないというあのシナリオときたら。

一方コナーくんのシナリオでは、民の不満を集めて煮詰め、さらに実行力を持った人を集め、事件を起こしてそれを拡散するという展開が何度か見られた。ボストン茶会事件がその筆頭だ。一握りの人たち(ここでは主に軍部)によって行われる力の集中と、マスメディアによる情報の拡散。「民意」はそうして形成される。現在に至るまで、民主主義とはそういうものである。

コナーくんのメインシナリオの中で、コナーくんの心が「仲間」から離れてしまうシーンがとてもつらかった。コナーくんもまた散会させられてしまう側だった。彼はワシントンを、愛国派の掲げる理想を信じていたのに。

そしてこの観点においても、ホームステッドは救いになる。コナーくんは村人を集めた。彼らは散っていかない。コナーくんのもとを去ったりしない。ちゃんと身を結ぶのだ。

いや、もしかしたらいずれホームステッドを離れる人もいるかもしれない。でもそれは、コナーくんから心が離れてしまうことにはならないと思うのだ。あの優しい世界で生きた人たち、あの楽園で育った子供たちがいずれ村を離れるとしたら、それはきっとあの優しさが外に拡散することを意味するのだと思う。あの場所、あの時代に存在した楽園のことは、どこにいたって懐かしく語ってしまうことになるのだろう。そしてきっと、世界に優しさを撒いていくことになるのだ。

 

親と子

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パンイチの男

ここまでいろいろ書いてきたが、結局のところアサクリ3は親と子の物語、これが主題だろう。

英雄譚というジャンルにおける永遠のテーマ、「親殺し」。この物語もそれをきっちりと踏襲している。そしてそのことがすなわち、古いものを壊し、新しいものを作る、破壊と創造の物語につながっている。

ヘイザムさんからコナーくんに視点が変わったときに、これは「親殺し」の物語なのだろうと察した。比喩的な意味になるか実際にやるのかは別として。まあ実際にやっちゃうわけだけど。

子はいかにして親を超えるべきか。親はいかにして子に自分を乗り越えさせ、未来への希望を持たせるか。血とは何か。絆とは何か。そんなテーマが、作中にさまざまな形で語られていた。

 

イギリスとアメリ

いきなり比喩的なところからスタートするのもどうかと思うが、「古いものを壊して新しいものを作る」というテーマはそのままアメリカ独立戦争につながっている。

イギリスとアメリカの関係も、そのまま疑似親子関係と言っていい。親と子を描いたこの物語の舞台が独立戦争だったのは必然だったのだと今は思う。

 

ヘイザムとコナー

さて本題。まずはやっぱりヘイザムさんとコナーくん。

二人は立場的には敵対していたけれど、たぶん思想の根本部分には似たようなところがあった。これ以上悲しむ人を増やしたくない。その気持ちは共通だったはず。ヘイザムさんは、悲劇を防ぐために人類を統制すべきだと考えた。コナーくんは誰にも自由があるべきだと考えた。

目的は同じなはずなのに、その目的のためにしたことがさらなる悲劇を生む。

コナーくんは、そしておそらくヘイザムさんも、そのことをわかっていた。でも止められなかった。もしかしたら歩み寄れるかもしれないと、きっと二人ともわかっていたのに。

ほかの章ボスと違って、ヘイザムさんは亡くなるときに恨み言も泣き言も言わなかった。ただ「誇らしい」と口にした。そしてあまりにも悲しい賛辞、「さっさと殺すべきだった」。それが彼にとって最大の褒め言葉だったのだと、いずれコナーくんも悟るかもしれない。でももう何もかもが遅い。

ヘイザムさんが絶望の中死んでいったのでないことは、少しだけ救いになる。立場は違えど、ヘイザムさんはコナーくんに希望を見たのだろう。そしてそれを、彼の立場から言える精一杯の形で彼に伝えることを選んだ。今はもうそのことだけで胸がいっぱいだ。

ヘイザムさんについては、ノベライズ Forsaken の中で詳しい補足がある。というかヘイザムさんが主人公のノベライズである。現在読んでいる途中だが、これが本当によくて、1ページ目から泣かされた。アサクリ3の全プレイヤーが読むべき本な気がする。

 

アキレスとコナー

アキレスは、ヘイザムという実の父に対比される形で配置された、義理の父である。

生まれたときから父親がそばにいなかったコナーくんにとって、アキレスが最初の「父親的存在」ということになるだろう。村の長すら父性側のキャラではなく「ババさま」だったくらいに徹底していたから。

この疑似親子がまたとてもいい。血の繋がりなんてなくても親子の絆は生まれるのだと思わせてくれる。

アキレスはコナーくんに名前を与え、新しい帰る場所を与え、生きる意味と生きるための手段を与え、そして彼にできる限りの優しい未来を与えた。

ホームステッドは、アキレスが守った土地に作られた楽園である。ホームステッドの民が口にするのは、アキレスが彼につけた名前である。

コナーくんにとって、特にクリア後のコナーくんにとって、生きる指針となったのはやはり、アキレスから与えられたものだろう。

実の子供を失ったアキレスにとってもまた、コナーくんの存在が救いになっていたはずだ。互いが互いを必要とし、支え合った疑似親子。

あの「鍵」が(ヘイザムさんではなく)アキレスの墓に埋められたことも納得である。

コナーくんはきっと、ホームステッドで幸せな人生を送って、ホームステッドの民に見送られてアキレスの墓の隣で眠っているはずなんだ……。

 

コナーとミリアム

コナーくんとホームステッドの民もまた、ある種の疑似親子と言えるかもしれない。

特に象徴的なのが、ノリスとミリアムの結婚式のシーン。親のいないミリアムの「父親役」を、コナーくんが務めた。

「父親のような気持ちで彼女を送り出す」ことならできると語ったコナーくん。彼にとって村人たちは、庇護すべき大切な家族だ。時には無茶な願いも聞き、時には体を張って外的から彼らを守り、いつも優しい眼差しで見守っている(平民のエンサイクロペディアコンプリートのためである)。

ホームステッドでのコナーくんの振る舞いはたぶん、彼にとっての「理想の父親」像とほとんどイコールなのだろう。父親というものはこうあってほしいと思う姿――家族を守り、見守り、困っていたら助けられる――を懸命に体現していたのだろう……と思うと、ヘイザムさんとの出会いがつらいわけだが。

 

ウィリアムとデズモンド

わたしはこの二人の関係を詳しく知らないのだが、何やら確執があったということは察した。そんな二人が最後には "I love you" と言い合うことができたのは、たぶんデズモンドくんがコナーくんの記憶を見たからだ。コナーくんがアキレスとヘイザムさんに抱えた感情を、コナーくんも感じてしまったからだ。

もしそのおかげでデズモンドくんの死の前に二人の和解が成ったなら、コナーくんもアキレスも、そしてヘイザムさんも、少しは浮かばれるのだろうか。

 

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あれこれ書いてみて、我ながらこの殺伐とした世界をたっぷり楽しんだことがわかった。そして心に残った場面はたくさんあるのに、ろくな写真が残っていないということもわかった。だってイベント中は見入っちゃうからさあ!

さあ Forsaken を読んでヘイザムさんを想ってさめざめと泣く準備はできている。英語を読むのが遅いせいで、先が気になって仕方ないのに強制のんびりペースなのがつらい。ともかくもうしばらくはこの世界に浸っていることになりそうだ。

 

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