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「ファイアーエムブレム風花雪月」青赤金ルートをクリアしたのでキャラ語り・1

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「部屋に招いてくれて嬉しい」とか言い出すクロード・フォン・リーガン

風花雪月も3周目である金組さんルートは、なかなかに楽な道のりだった。惜しげもなく名声ドーピングを投入し、DLCで手に入れたアイテムも使い、強化しまくったキャラたちでの攻略である(何周やろうともノーマルモードである)。

支援も序盤から計画的に上げ、というか1日7食以上は余裕のベレス先生なので5年後の春にはほとんどの支援がAを超えてしまった。

というわけでこれはペアエンドに期待できるなと思っていたのだが。

こんなにも予想外のペアエンドになったのは初めてだった。まったく狙い通りにならない! 次々と続く驚きの結婚報告に、きみたちいつのまにそんなに仲良くなったんや……と白目をむくベレス先生。結局、先生に選べるのは自分の結婚相手だけ。あとは生徒たちの自由である。

そんな驚きの結果レポも含めてキャラ語り、いってみよう。

青赤金ルートのネタバレ注意。

 

 

金鹿ルートから三級長を振り返る

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お茶会における適切な話題

前の記事で書いたとおり、ベレス先生はクロードくんと結婚した。初めての級長さんとの結婚である。

この食わせ物が、なかなかにわたしのツボを突いてきた。そもそも最初の野営中、彼が盗賊たちを引き付けて逃げださなければ、先生がガルグ=マクに来ることもなかったのだ。風花雪月を「神話」として見た場合の始まりと終わり(アガルタの民を殲滅し、十傑を滅ぼすところまで作中で見せるのは金組さんだけである)を司るクロードくんなのだ。

 

彼に関しては、「先生がいなくてもなんとかなりそう」という感想をよく見かける。

確かに彼は作中全体で、少なくとも表面的には、最もメンタルの安定した級長である。金ルートでの重要な選択は基本的に、「卓上の鬼神」である彼が下す。また実際に、先生がいないルートでも彼はなんだかんだで生き延びる(そのルートでの先生の選択次第なところはあるが)。

しかしクロードこそが、先生の神性を最も必要とした者ではないだろうか。つまり先生+ソティスの存在を最も必要としたのがクロードである。セイロス教徒ではない彼だからこそ、そんなふうに「神」を「利用」する発想ができた。そして神祖でも味方につかない限り、彼の野望の成就を彼が生きているうちに目にすることはできないだろう。それくらい、彼の野望は途方もないのだ。現代社会ですら実現ができないくらいに。

同盟は、他の国のように「盟主様に従います!」という一枚岩の国ではない。たとえばリーガン家の旗印を掲げたとして、あの状況で付き従わない者が出るとまではいかなくとも、士気が上がるかと言われれば疑問である。だからこそ、炎の紋章の旗印が必要だった。信仰の象徴、奪われた者たちの象徴、反帝国の象徴が必要だった。士気向上のためのシステム、あるいは大義名分と言ってもいい。

面白いのは、クロードくん自身は信仰も持たず、そこまで致命的な奪われ方をしたわけでもなく(彼はいつでもパルミラに帰ろうと思えば帰れたのだから)、エーデルちゃんの思想自体に反発しているわけでもない。ただ冷静に、客観的に事態を分析し「それが最も効率的だから」「神祖を利用した」。

ベレス先生もまた、それが最も犠牲を抑える形で戦争を終結させることになると理解したからこそ、利用されることを受け入れたのだろう。

そうして最初は反帝国で軍をまとめたクロードくんだったが、予想外に大きくなった話と予想以上だった先生の神性を目の当たりにして、野望の実現可能性を視野に入れて動き始めた――ということかなと。

 

エーデルガルトは先生の神性を用いて先生から神性を奪った。同時に彼女は、先生を精神的、あるいは倫理的支柱として必要とした。自分が正しいことをしているのか確たる自信が持てず、「後世が評価する」と口にする彼女は、先生がそばにいて彼女の行いを肯定してくれることによって、ひとつの倫理的指針を受け取っていた。

ディミトリは言わずもがな、先生の聖性によって人間性を回復した。彼を獣ではなく人間たらしめるのは、先生の存在である。彼が求めるのは神祖のパワーではなく、弱き者に寄り添ってくれる聖人なのだ。こうしてみると、青ルートのエンディング後にベレト先生が大司教に就任したのは大変納得できる結末だ。

彼らに比べると、クロードくんはとにかく神の入れ物としての先生を必要としている。先生は「卓上の鬼神」にとって重要な駒のひとつ。それがなくては策は成らない。

しかしそれだけだろうか?

それだけではないということは、何よりもクロードくんによる「きょうだい」という呼び方が裏付けている。彼は先生に強いシンパシーを感じていたはず。つまり「異物」同士としての仲間意識のようなものを持っていたはず。

セイロス教徒ではない先生。フォドラの常識を持たない先生。それを指摘されても飄々として、ちっともフォドラに染まらない先生。だからといって周囲に反発するわけでもなく、(レア様という強力すぎる後ろ盾があったとはいえ)周囲から強い反発もなく、あくまで己を保った状態で、「異物」のままにうまくやっていく先生。

「異物としての矜持」を持ち「異物だからこその視点・発想」を大事にするクロードくんにとっては、さぞ魅力的に見えただろう。自分もこうありたい、という憧れすら抱いたかもしれない。

あの日先生のことを「きょうだい」と呼んだのは、広い世界の中で初めて、同志と思える人に出会えたからなのだろう。しかし同時に、その言葉が先生にとってどんな影響を及ぼすか、つまり自分を「きょうだい」と呼ぶ彼にどれだけの信頼と共感を持ち、場合によっては命を懸けて彼の野望実現のために共闘してくれることになるか、そのあたりのところまで計算していないわけもないのだ。「心を開く」というオプションによって得られるメリットを、彼はもちろん計算ずくだったはずなのだ。それがクロード・フォン・リーガンという男の生き方である。

そして先生はきっと、それもわかった上で彼の盤上に乗ることを受け入れた

マイアースでの金鹿ルート解釈は、くせ者×くせ者の物語だ。今まで見てきた先生とは一味違う(どのクラスでもそのルートに合わせて先生の印象は毎回変わるのだが)。だからこそ、わたしはこの物語において先生の結婚相手にクロードを選んだ。

 

信仰心とは、多くの文化においてその倫理規範の根幹をなす。

だから教会の象徴であり新たな王でもある先生が、ときどき奇蹟など披露しつつ(毒沼でも歩こうか?)「国交を開け」「他民族とともに生きよ」「多様性が社会を生かす」などと言えば、もしかしたらいろんな問題をすっとばして、フォドラに現代社会以上の寛容さが広がるのかもしれない。

あー、そういえば金ルートのラストバトルってドラゴンに乗った級長&毒沼ダメージ無効の先生が無双できるフィールドだったな。エンディング後の世界が最も先生の奇蹟を必要とするルートにおいて、このお膳立て。これね、偶然じゃないよ。シナリオライターとバトルデザイナーは、これちゃんとわかっててやってると思うよ。

 

さてクロードくんについて語るついでにほかの級長さんについても語っていたら、もう寝る時間である。

ペアエンドの結果レポをすると言ったな、あれは嘘だ。

次回! また次回ね!

 

ssayu.hatenablog.com

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