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混沌の時代に贈るおとぎ話「シェイプオブウォーター」感想・考察

ようやく見に行けた「シェイプオブウォーター」。劇場で見ることができて本当によかった。

すでにいろいろな人が感想をしたためているが、わたしもそこにひとつ投じておきたい。

ネタバレ全開につき注意。

 

 

「混沌の時代に贈るおとぎ話」

ストーリー自体は、異種間恋愛ものの王道をいっている。神話の時代から存在するパターンの物語だ。

わたしが最初に連想したのは、E. T. A. ホフマンの『黄金の壺』(1814)だ。何をやってもうまくいかないはみ出し者の大学生アンゼルムスと、緑の蛇ゼルペンティーナとの恋物語を描いた創作メルヘンである。ここでも「緑」である。

何が似てるって、結末がほとんど一緒。アンゼルムスはゼルペンティーナと永遠の幸せを手に入れるが、世間から見ればアンゼルムスは狂った末に失踪したものと思われている。ただ一人、アンゼルムスの元ガールフレンドだけは彼の行く末を知るが、彼女も彼を追うことはできない。

「シェイプオブウォーター」もまた、両義的な結末を持つ。

「彼」はイライザの傷を癒し、水の世界で幸せを手に入れたというハッピーエンド。

イライザの治癒以降は語り手であるジャイルズの願望であり、実際には彼女は死んでしまったという悲劇的結末。

どちらともとれるように作ってある。

(ただし事前に「彼」がジャイルズの傷を癒した描写があるため、イライザも治ったと見るのが妥当かなという気はしている)

 

面白いことに、E. T. A. ホフマンは『黄金の壺』と並行して、最後に結ばれることのない悲劇的異種間恋愛のおとぎ話も作っている(F. フケーのおとぎ話『ウンディーネ』を原作としたオペラを同時期に作曲)(そういえばこれも「水」に住まう人外との恋愛だな!)。なんとなく、「大アマゾンの半魚人」の悲劇をハッピーエンドにしたいデル・トロ監督の姿とかぶらないだろうか?

 

さて↑に貼った画像は、この映画のメイキング本の表紙である。

この本の副題は「混沌の時代に贈るおとぎ話(原題は "Creating a Fairy Tale for Troubled Times")」という。パンフレットによれば、これは本作の構想段階におけるタイトルだったそうだ(パンフレットではこれを「つらい時代のおとぎ話」と訳している)。

これまたちょっと面白いことに、『黄金の壺』にも副題があって、「新しい時代のおとぎ話(原題は "Märchen aus der neuen Zeit")」というのだ。

 

ことさら『黄金の壺』を「シェイプオブウォーター」の元ネタだと言うつもりはないのだが(こういうパターンのおとぎ話、あげだしたらきりがないだろうし)、いろんな角度から似てるよなーと思ったので紹介してみた。興味があれば、日本語版が文庫で手に入るのでどうぞ。短編だからすぐ読めるよ!

  (←こっちは『ウンディーネ』)

「モンスター」と人間との恋をハッピーエンドで終わらせる物語は、少なくとも200年以上前にはもうあって(「ヘビ」はキリスト教文化圏においては悪魔側の生き物なわけで)、しかも当時もそこそこのヒットを叩きだしていたということは指摘しておきたい。

 

さてここから先が本題。

映画そのものの感想というよりは、あのモチーフはどういう意味だったのかなーという考察メモ的なものになりそうだ。これも書き始めるときりがないので、四つに絞りたい。

1. 色遣い(緑と赤)

2. キャンディと指

3. 時計

4. 鏡面の不在

こんな感じでいってみよう。

 

 

1. 色遣い(緑と赤)

この映画の色遣い、あの特徴的な緑とその補色であるところの赤は、この映画を見た誰もに強い印象を残しただろう。この色は、それぞれ何を意味しているのか。

考えだすと結構難しい。なぜなら緑も赤も、イライザとストリックランド両方の側で使われているからだ。

パンフレットの中でデル・トロ監督は「グリーンは未来だ」と語っている。これは作中にもあるセリフだ。そして「赤は命や愛を意味する」とも語られている。なんだ、答え載ってんじゃんという感じだが、せっかくなのでもう少し考えてみたい。

 

作中で緑色だったものを思いつくままにあげてみると、

イライザの服(前半)や制服、研究所の壁、タイムカード、「彼」の鱗、「彼」の入っていた水、ライムパイ、ジャイルズが描きなおしたゼリーの絵、ストリックランドのキャンディ、キャデラック(ティール!)などだ。

研究所絡みのパートやキャデラック、ゼリーやパイは「未来」ということでいいと思うのだが、緑は「彼」絡みでも使われているし、キャンディはどちらかというとキャデラックと反対の位置にあるアイテムだ。これらも「未来」とひとまとめにしていいものだろうか?

 

一方赤はどこで使われていたか。

イライザの服(後半)、映画館の入口、ストロベリーパイ、ジャイルズが最初に描いたゼリーの絵、それから血液。

ここからわたしが感じたのは「真実」や「情熱」といったキーワード。イライザと「彼」を出会わせたのはストリックランドの流した血。愛を知ったイライザが身につけるのは赤い服。ジャイルズが本当に描きたかったのは赤いゼリー。ジャイルズがパイ屋の店員に本当の気持ちを打ち明けようとしたのはストロベリーパイを前にしたとき。ストリックランドは血を流すたびに本性を少しずつさらけ出し、自分で指をむしり取ったときにとうとう「モンスター」としての自己を解放する。イライザと「彼」も最後に赤い血を流す。

 

赤が「真実」であるならば、その補色としての緑は「嘘」とか「欺瞞」とかそういうものになるだろうか。考えてみると、1962年に生きる彼らにとって「未来」とは「現代」のことだ。そして「現代」のことをデル・トロ監督は "Troubled Times" と呼んでいる。「未来」とはそういう意味で使われた言葉なのかもしれない。

ジャイルズが本心を隠して食べ続けるパイ、描きなおされたゼリーは「嘘」そのものだ。キャンディはストリックランドが自分に対してごまかし続けている「もう一つの本性」(詳細は後ほど)。キャデラックはおそらく本人もわかっているとおり、自分を鼓舞するために買ったもの。その虚飾があっという間に壊されるのがとても悲しい。日ごろから「映画の中で登場人物が車を大事にしている描写があるとその車は後で壊される法則」を提唱しているのだが、こんなにも即フラグ回収されるなんて……。

では「彼」の方にも緑をあてがったのはなぜか。「彼」もまた善性や神性だけを持つ存在ではないという意味かもしれない。この作品が優れているのはその対称性ゆえに、だとわたしは考えている。「彼」はかわいいねこちゃんを食べてしまうし、人を簡単に傷つける。治癒能力もあるが、ストリックランドに対してはそれを使わない。「彼」は神かもしれないが、すべての生き物を無条件に、平等に愛するような神とは違う。

ストリックランドは自分や家族、アメリカという国を守るためにロシア人を殺し、イライザと「彼」に向かって引き金を引いた。「彼」は自分を守るためにストリックランドの指を落とし、イライザを守るためにストリックランドの喉を切った。イライザたちは「彼」を守るために研究所の職員を殺し(実際に殺したのはホフステトラー博士だが)、そのことを大して気に病まない。

やっていることはどちらも大して変わらない。視点をどちらにおくか、というだけの話だ。だからこそ緑と赤はどちらの側にも配置されている。この両義性こそ、わたしの感じるこの作品の面白さだ。

 

2. キャンディと指

とても気になった、ストリックランドのキャンディガリガリ。

もっと「まとも」な、ヌガーとかの入ったお菓子を食べるべきところを、子供の頃からずっとあのキャンディが好きで食べ続けているストリックランド。

キャンディはストリックランドの「もう一つの本性」の象徴なのだろう。本当は「まとも」なお菓子よりも安っぽいキャンディが好き。イライザみたいなマイノリティな女性に惹かれる部分もある(ストリックランドがイライザに惹かれるのは「声が出せないから」だけではないとわたしは思う。彼の中にも、イライザの孤独や情熱に共感する気持ちはあるが、いつもそれを自覚できないまま「噛み砕いている」のだと。結局言葉にできたのがアレだけでは、確かにどう見たってクソ野郎なのだが)。車だって本当は「グリーンは嫌い」。本当にやりたいのはこれじゃない。別に好きなものがある。なのに彼が認められるのはかろうじてキャンディだけ。

彼はあのキャンディを噛み砕いてしまう。本当に好きなものを噛み砕いて飲みこんで、彼は「まとも」であろうとする。だからあのキャンディも、「欺瞞」を表す緑なのか。

物語の進行とともに、彼はキャンディを食べなくなる。かわりに口にするのは痛み止め。それも飲み切ってしまった後、彼は「キャンディが好きな彼」とは正反対に位置する「モンスター」としての本性を露わにする。キャンディは「モンスター」を引き止める堤防役だったわけだ。

 

キャンディとともにストリックランドの性質のゆらぎを表すのが、切り取られた指。トイレで用を足した後、洗われない指である。

あの指はジャイルズの傷と対称的だった。「彼」の存在を受け入れともに生きようとしたジャイルズは、「彼」の祝福によって「彼」につけられた傷を癒される。

「彼」を虐待し敵対したストリックランドの指は次第に腐り、異臭を放つ。最後には自らちぎり落としてしまう。小指と薬指、おそらく子供と妻を象徴する指を。あれを「男根の象徴」と見るのもあながち間違いではないと思うが、「男根の象徴」だったのはどちらかというとあの警棒ではないかな。

彼が傷ついた指を見つめるのは「本当にこのまま進んでいいのか?」という「キャンディが好きな彼」からの内なる声によるものなのだろう。妻とセックスしながら。「彼」を追う車の中で。きっとその声は彼の中に湧きあがっていたはずなのだ。だが彼はそのすべてを無視した。立ち止まるチャンスを逃した。溢れてくる「赤」い血の警告を無視したのだ。

もしストリックランドが早い段階で彼の中の「赤」と向き合えていたら、「彼」はあの指を癒してくれたかもしれない。その可能性は常にあった。可能性をドブに捨てたのは彼自身であり、また彼を取り巻く人や社会でもある。

 

3. 時計

イライザ側で気になったのは、時計・時間に関するモティーフの多用だ。

決まった時間に目覚め、決まった時間だけ卵を茹で、決まった時間にバスで通勤し、タイムカードで出勤を管理されて生活している。この生活をこなせている時点で、わたしは彼女も相当に「まとも」な人だと思ってしまったりする。そういうことが苦手な人は、イライザにすら脅威を感じる。あの執拗な時計の描写を見るに、これもまた計算ずくなのだろう。

時間に管理される彼女。近代的価値観で自分を律することのできる彼女。

そんなイライザが時計を投げ捨て、「彼」の待つバスルームに向かうシーンが、彼女にとってのターニングポイントだった。以降彼女は「赤」を纏い、時計の存在を気にしなくなる。近代的価値観から自分を解放し、ある意味で欲望に身を任せる方向に突き進む。

 

4. 鏡面の不在

この作品で「描かれているもの」についていろいろ書いたが、最後に「描かれていないもの」について考えておきたい。

「シェイプオブウォーター」は水を重要なモティーフとした作品だが、にもかかわらず水を「鏡」に見立てるシーンがない。一度見たきりなのではっきりとは言えないのだが、なかったような気がする(急に弱気になる)。

それどころか「鏡」はほぼ不在と言っていい。トイレには鏡があったが、あまり映らない角度から撮られていたような。唯一鏡を見つめるのは、髪を気にするジャイルズだ。

ガラスや水面を鏡にしてもいいような場面でそれがないのが、ずっと不思議だった。イライザはバスの窓に帽子をあてて目を閉じてしまうし、服が赤くなったあとは窓に指先で模様を描く。イライザの部屋にも大きな窓があるのに、それが強調される場面は大雨で、部屋の中は映らない。まるであの部屋自体が深海にあるかのようだった。

水をモティーフにした作品をつくろうとしたとき、「鏡にする」というのは真っ先に思いつきそうなのに、それをしないというのはやはり意図的なのではないかとわたしは思う。

「鏡を見る」というのはつまり「自分を省みる」ということだ。

イライザもストリックランドも、まったく自分を省みない。「これをするのは本当に正しいことだろうか?」とか「これをやってしまって本当によかったのか?」とか考えない。「自分の行動は絶対に正しい」とどちらも信じて疑わない。ストリックランドの方が指の怪我を見つめたり、「いつまで『まとも』でいればいいのか」と問う分だけ、まだ自省的な描写があるくらいだ。

この二人を対称に描いている点が、やはりこの映画の面白さだ。どちらの立場にも同じだけの危うさがある。

ジャイルズとゼルダは省みる。二人とも「あんなことしちゃったけど大丈夫だったかな……」「ていうか人死んでるし……」みたいなことを考える。その上で、それでもイライザの味方になってくれる。

こういう人たちがそばにいたからこその、イライザの「ハッピーエンド」なのだろう。そしてこれが、デル・トロ監督のバランスのとり方なのだろう。

 

ジャイルズとゼルダのその後を想うと、なかなかつらい。ジャイルズは唯一の友人を永遠に失い、ただイライザのハッピーエンドを夢想し、語ることしかできない。ゼルダはもっと大変だ。夫とは完全に破局するかもしれないし、仕事も続けられるかどうか。イライザが「ハッピーエンド」を望むなら、彼らはおいていかれることになる。

もしかしたらジャイルズはイライザの勇気に励まされ、別の誰かと出会って愛を育めるかもしれない。ゼルダもあのダメな夫を捨て、もっといい職場を見つけられるかもしれない。我々もジャイルズと同じで、そんな結末を夢想することしかできない。

イライザと「彼」は鏡のない水の世界で生きていく。我々は彼らを捨て、彼らに捨てられた、鏡のある世界で生きていく。何を選び、何を捨てるべきかなんて、立場や物の見方、時代によっても簡単に変わってしまう。鏡を見ずに「正しい」選択ができるのなんて一握りの人間だ。わたしは、自分自身はせめてジャイルズやゼルダのような人間でありたいと思う。

 

雑記

・ポスターのデザインが陰陽を表す太極図イメージだったと知ってなるほどな~とか。

f:id:ssayu:20180317184816p:plainこれ。陰陽 - Wikipedia

・イライザが「彼」に会うのが簡単すぎて、警備ザルかよと思ったけど、あれも彼女たちは「無視され続けた存在」だという描写のひとつなのかも。

・イライザは声が出せないのが良い、妻とのセックス中も口を塞いでしまうというなかなかアレな性癖持ちのストリックランドが声を奪われて死ぬという結末の皮肉。

・手話でコミュニケーションできるイライザと「彼」、指を失ったことにより手話をする可能性も奪われたストリックランドとの対比。

・「彼」の前で卵を食べてみせるイライザはとても官能的に見えた。わたしはあの卵は割と直球に卵子、生殖の象徴だと感じた。

・ホフステトラー博士は逃げてほしかったが、彼は彼で罪もない人をさくっと殺しているわけで(しかも殺されたのは「日の当らない場所」で働く人だ。むしろイライザたちの立場に近い人ではなかったのか)、まあ死ぬよな……。

 

 

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