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BBCの本気を見た「そして誰もいなくなった」感想

BBCが「そして誰もいなくなった」を製作したと聞いて、これはBBCの本気が見られる一作になるのでは、と思ったら案の定本気出してきた。しかも最近はやりの「現代版」ではなく、きっちり1939年設定で!

年始に一気見したわけだが、不気味さと上品さ、品の無さ、怖さが素晴らしいバランスで、あの孤島の世界に3時間引き込まれ続けた。どのキャストも最高で、どのキャストもあやしすぎて、全員すぐにでも犯人役をやれそうで、もし「ドラマ版オリジナル展開です」とか言って犯人を誰に変えてきたとしても「この人なら納得」と思えそうなくらいだった。まあ、本当の犯人はもちろん最高オブ最高なのだが。

BBCによる予告動画はこちら。

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感想を書く前にこの作品に対する自分の立場を書いておくと、原作は中学生の頃に読んだきり。話の流れとトリックと動機は漠然と覚えていたものの、肝心の犯人は誰だっけ?状態(我ながらなぜそんな器用な忘れ方ができるのか)。クリスティについては代表作を読んだ程度。

わたしは「ゲームオブスローンズ」のファンでもある。そしてラニスター家が大好きである。あまりに好きでラニスター家についての記事を書いたくらいだ。そんなわたしが、特に前情報も仕入れずに「そして誰もいなくなった」を再生し、ボートに乗るタイウィン・ラニスター(中の人はチャールズ・ダンス)を目撃したときの衝撃といったら!

「タイウィンパパどうしたのそんなところで現代風の格好しちゃって!」

あなたついこの前まで鹿を捌いてたじゃないの(中世的世界観の「ゲームオブスローンズ」から見れば、20世紀初頭くらいは「現代」である)。その帽子似合うね! 何の役やるの? ウォーグレイブ判事? 何番目に死ぬ人だっけ?(細部をきれいに忘れている)

という、世界中にいるであろうこの番組の視聴者の中でも、同じような見方をした人はあまりいないと思われるわたくしの非常に偏った感想、お付き合いいただける方はどうぞ。ドラマ本編・原作のネタバレ全開につき注意。

 

 

 

 

 

 

 

ウォーグレイブ判事、犯人だった!

原作をきちんと記憶している人はこの見出しを見ただけであきれて引き返しそうだ。原作の記憶をなくしていたわたしも、半分くらい見たところで「このメンバーであの動機に至るのって判事だけでは?」と思い出し始め、ウォーグレイブの死体が出てくるところでほぼ思い出した。

やった! タイウィンが犯人だ! これはそのつもりでもう一度見直さなきゃな!

そのときはそう思った。だが残念なことにこの話、原作では犯人は物語の途中で退場したきり、最後にお手紙で犯行を告白するだけである(小説という媒体ではあの結末がベストだとわたしも思う)。ということはウォーグレイブの出番はもう終わりか…。

 

驚きの結末

と思っていたら、まさかの再登場。あれはテンションが上がった。原作ファンは「忠実にドラマ化していない」と苦情を言うかもしれないが、知ったことか。わたしはあの、ヴェラとウォーグレイブの一連の息が詰まるような(物理)シーンがたまらなく好きだ。もう何度見直したかわからない。

あの恐ろしい目が上目遣いでヴェラを見つめる。ヴェラは媚びるような眼差しでウォーグレイブを見下ろす。殺される方が上にいて、命を握っている方が下にいる逆転の構図が面白い。ヴェラ、あの状態でずいぶん粘るなあと感心したのだが、彼女は体育教師設定なのだから体力もバランス感覚も人並み以上なのだろう。

後半まで「ヴェラの事件だけは本当に事故だったのでは?」とも思わせるような回想の演出をしておいて、最後に彼女の本性を明かすやり方も、原作の魅力を最大限活かしていた。

「二人で生き残る」と言い出してからのヴェラが、彼女の渾身のシーンだった。それまでヴェラの視点で物語を追ってきた視聴者すらも「ハァ? ウォーグレイブさん、やっちゃってください」と思ったのではないだろうか。

 

このドラマにおけるヴェラは、いつからああなったのだろうか。ヒューゴと会う前から? それともヒューゴとの愛を知ってから? それともヒューゴとの愛を失ってから?

ヴェラのヒューゴへの気持ちはある程度、本物だったと思われる。死のうとした彼女が、耳にした靴音に対して「ヒューゴ?」と呼んでいるからだ。ひょっとしたら最期にヒューゴへ懺悔したい気持ちが(あの時点では)あったのかもしれない。

一方フィリップ・ロンバートとの関係は性質が違った。「フィリップのせいにしましょう」とは、いくら本人が死んでいるとはいえあんまりだ。苦笑するウォーグレイブの笑い方が本当に「失笑」した感じで好きだ。

ヴェラは確かにフィリップを愛したのだろう。だが殺さないほどに愛していたわけではなかった。そしておそらくシリルも。シリルのことも好きだったのだろうが、殺さないほど好きだったわけではなかった。彼女にとって他者とはそういうものなのだ。

原作は最後が淡々としていて(最後だけ読み直した)、あれはあれで好きなのだが、原作に解釈を加えつつ、最後にドラマとしての盛り上がりを作るやり方も大好きだ。

 

猛禽類の眼差し

以前からチャールズ・ダンスの目は猛禽類を思わせると感じていたのだが、このドラマを見ていっそうその印象を強めた。おそらくタイウィンよりもウォーグレイブ判事の方が年上の設定で、メイクも演技もそのように仕上げていると思われるが、年齢が上がってより猛禽化した気がする。最期の、あの瞳孔の開いた笑った死に顔なんて最高ではないか。夢に出てきそうなレベルだ。

タイウィンを見ていてもそうだったが、彼が黙ってカメラを見つめているだけで、何もかも見通されている気分になる。自分が「狩る側」であることを疑わない、自信に満ちた眼差しだ。

しかし当然ながらウォーグレイブはタイウィンとは違うキャラクターだ。タイウィンのような堂々とした歩き方ではないし、肩を丸めた姿勢だし、全体的に「疲れた」印象がある。「死期が近い老人」なのだから当然か。微妙に似ていながらやっぱり違う、タイウィンとウォーグレイブを見比べると、チャールズ・ダンスのキャラ造形の違いがわかって楽しい。

 

ズングリ氏の小さなパラダイス

ドラマの中で、もう一つお気に入りのシーンがある。ブロア警部が家庭菜園について語る場面だ。彼は終盤まで生き残るメンバーに選ばれただけあって、胸糞悪い「重罪人」なわけだが、そんな彼も四六時中悪人だったわけではないことがわかるエピソードだ。一方で、「われらの庭を耕そう」と思うことのできる彼も、同時に「重罪人」なのだと思い知らされるエピソードでもある。

「もうトマトが収穫できるのに」と泣く彼を見ていると、少しだけ心が動かされた。あそこに集まったメンバーの中で、唯一その死が少しだけ悲しくなった。

 

ここが不満

ドラマの演出で一点不満がある。ウォーグレイブがヴェラの死を見届けなかったことだ。彼は、自分が死を宣告した者が死にゆく姿を見に行くことで知られていたのではなかったか。その彼が、最後に残った「お気に入り」(=最も苦しんで死んでほしい「重罪人」)が死んでいくところを見ないなんておかしい。なぜさっさと出ていってしまったのか。きっちり見届けてほしかった。というか、ヴェラの死を見届けるウォーグレイブの表情を見たかった。

 

…という不満点はありつつも、3時間きっちり没頭できる良質なドラマだった。万一これを読んでいる未視聴の方がいるなら、料理がどれもおいしそうなのにグレーフィルターのせいでグロに見える(ドラマ版「ハンニバル」を思い出した)、若干ホラー気味の演出がある点が問題なければ、ぜひ見るべきだ。

ちなみにこのドラマを見た直後にリメイク版「ゴーストバスターズ」を視聴したところ、こちらにもチャールズ・ダンス(コメディ仕様)が登場して腰を抜かした。

 

 

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