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何も知らない J・J・カーティス「映画・ファイナルステージ」感想

2002年の映画の感想を今頃書いて誰か読む人がいるのか不明だが、わたしが見たのは昨日なので今から書く。

「ファイナルステージ(原題  Final curtain)」、わたしはもちろんエイダン・ギレン目当てで見た。主演映画ではないし、若き日のギレンさんのクズい役を楽しむか~くらいのノリで見始めたのだが、めっちゃくちゃ面白かった。

シナリオは面白いし、ギレンさんの役もただのクズではなくてものすごい振れ幅だった。一作でギレンさんがあんなにもいろいろな表情を見せてくれる作品はレアである。

「ゲームオブスローンズ」でリトルフィンガーにはまった人におすすめの一作をあげるなら、まずはこれと言ってもいいくらいだ。

メインの二人が本当にクズな上に、畳みかけるアレな展開に気が滅入るかもしれないが、「ゲームオブスローンズ」がいける人なら余裕余裕!

以下はネタバレ感想だが、これはネタバレしない方が楽しめるタイプの作品なのでご覧になってからどうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芸能界のオイディプス

本当はこれを記事タイトルにしたかったのだが、どう考えても一発でネタバレするのでやめた。

JJもデイヴも最初はテレビ業界あるあるなんだろうなと思わせるクズっぷりだったのだが、話が進むにつれてクズってレベルじゃねーぞ! という感じになっていき、悲劇の加速っぷりが凄まじかった。それもこれも「古典的悲劇」だからこそのシナリオで、「古典的悲劇」にふさわしい結末になった。

いや本当に、まさかのオイディプス王だった。殺す側が逆だけど。中盤で「ギリシア悲劇みたい」と評したスティッチの言葉はまったく正しかったわけだ。

言われてみれば、二人は顔立ちや目の色、体格までよく似ている。才能や思考の方向性も。デイヴの母親役、若すぎない? と思ったのにも意味があったなんて。

 

「父なるもの」への憧れ

デイヴの抱える「父なるもの」への憧れは、前半から示されている。

懺悔VTRで語った「亡き父」の思い出。カレンは「母についてはデタラメ」だと言ったが、父については「真実」を語っていた。つまりデイヴが「真実」だと思い込んでいることを語っていたわけだ。

あんなに美しく泣くエイダン・ギレンがかつていただろうか?(「ペイン」(原題 Buddy Boy、1999年のフランシスの泣き顔も美しかった!)しかもデイヴ本人が「美しく泣こう!」と意識している美しさだ。

またJJ失脚記念パーティを訪れたスティッチに対しても「父親がいない環境で育ったから、なんでも自分でしようとしちゃってダメなんだよね」と言っている(なんでもカレンに押しつけている気がするが)。

母親とはどう見てもうまくいっていないデイヴは、「理想の親」像を父親に一手に引き受けさせていたようだ。

 

デイヴにとってJJは、芸能界における「父親」のような立場でもあったことがまた皮肉である。たぶんデビューからしばらくは、JJもデイヴの活躍をサポートしていたのではないだろうか。自分の存在を脅かすようになるまでは。

デイヴのデビューに至るまでと、そこから自分の番組を持つまでをデイヴ視点で見たらとても面白いだろう。復讐心を隠してJJに笑顔と尊敬の眼差しを向けるデイヴとか。頬を紅潮させてJJに謝辞を述べ握手をしたあと、一人になった途端に手を念入りに洗うデイヴとか。

JJがデイヴをあんな形でデビューさせなければ、同じ土俵で争うこともなかったかもしれない。デイヴは「喜劇も歌もこなすエンターテナー」と紹介されているから、バラエティ番組の司会者ではなく役者や歌手として活躍する道もあったと思うのだ。デイヴ自身が最初から復讐心を抱えていた以上、どこかでJJの前に立ちふさがった可能性はあるが、その前に彼は病気で死ぬはず。

 

JJの再起?

少年にサインを求められて再び立ち上がろうとするJJのシーンは、正直ちょっと感動した。少年に手品を見せてあげるJJの笑顔は、きっと彼が舞台に立ち始めた頃と同じものだったのだろう。純粋に人を喜ばせたくて、人の笑顔を見るのが好きな、天性のエンターテナーだったはずの彼の片鱗が感じられた。

だからもしJJとデイヴが最初から親子として一緒に暮らすことができていたら(その可能性はあとではっきり否定されるわけだが)、彼は息子に手品を教えて笑わせる父親になれていたのかもしれない。あの笑顔を一度でも実の息子に向けることができていたら、と思わずにはいられない。

 

悲劇の結末

"All I've ever wanted is my dad." (ずっと父さんを待ってた)

"For him to come back to see me." (父さんに帰ってきてほしかった。俺を見てほしかった)

"To rescue me... instead of them." (ほかの子じゃなく俺を救ってほしかった)

ここで泣いた……。

デイヴは「父親」のことを尊敬していたけれど、自分ではなくほかの子のために命を投げ出したことはつらく、寂しく感じていた。「父親」なら、自分のダメなところも包みこんで「救って」くれるはずだと思っていたのだろう。

目の前にいるJJがどれほどのクソ野郎なのかについてはよくわかっているはずなのに銃をおろしてしまったのは、あのときのデイヴが見ていたのは「子供たちを助けにいったまま戻らなかった父親」だったからということか。

もしあのまま和解ルートに入ることができたとしても、数日もすればいがみ合うようになるだろうとは思う。思うのだが。

JJの方が、より重度のクズだった。

デイヴが銃を手放したのは音でわかっていただろうに。

推しがまた首を傷つけられて死んでしまった! 視聴率競争の舞台裏を描く映画なら、今回のギレンさんは最後まで死なないだろうな~というのは甘い考えだった!!

首を貫かれて死ぬのって、即死になる……? それともあれからまだ少し意識があったりした……?

もしも意識があったなら「(デイヴが産まれていたことを)知ってたら27年前に始末してた」と吐き捨てるJJの声を最期に聞いていたかもしれない……? なんかもう、この部分がいちばんつらい。

すべてをなげうってでも自分を救ってくれる父親を求めていたデイヴが父親に会えた瞬間、その父親に殺されてしまうこと。父親は自分のことを知らなかったばかりか、自分の存在を望んですらなかったこと。自分は産まれる前から忌み嫌われていた可能性があること。そのことに思い至り、絶望の中死んでいったと思うと。

JJは人生のすべてに後悔して死んでいってほしい。「私は息子を殺した!」と叫びながら死ぬのは、それこそギリシア悲劇シェイクスピアかみたいなノリだと思ったが。

死んで初めて静かに向かい合うことのできた親子。向かい合うアップの長いショットが本当に美しい。丈の短いズボンにスニーカーというスタイルはとても「子供」らしくて、あの俯瞰図で見ると親子が遊んでいるようにも見えるのだ。二人とも死んでるけど。

ギレンさんファンにはぜひぜひぜひ見てほしいが、ネタバレすぎてあの画像は出回らないのであった。

 

構成の妙

序盤から「その他の人々」がJJとデイヴのことを過去形で語るのが気になってはいたのだが、そういう話の作りだったか!!!

全体としてドキュメンタリー風の作りになっているのがとても面白いし、それがきちんと伏線として最後に活きるのも面白い。

そして確かにこのギリシア悲劇もどきは、純文学作家であるところのスティッチ向きの題材になったことだろう。

さてこうしてJJとデイヴの親子関係と二人の働いた悪事については白日のもとに晒されたわけだが、あのあと母親と祖父が味わう苦労を想うと、もうそっとしておいてあげてほしいという気持ちもある。

息子(あるいは孫)を失っただけでなく、家族の秘密を暴かれてしまった親子。特にモンティは何も悪くないのに。

 

泥沼なドタバタ映画を見るつもりが(日本版パッケージで使われているフォントからもそういうノリを感じたし)、思いのほか重厚な古典的悲劇を味わうことができた。意外性もあってとても面白かった。大変おすすめなので、これを読んでいてまだ見ていない人がいたら、どうにかして入手して見てみてほしい。

 

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