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「運命」という行動理由「ゲームオブスローンズ」8-5感想

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https://twitter.com/GameOfThrones/status/1121094218993291265

昨夜あげた記事にアクセスが集中しており炎上したのかと焦ったが、みんな誰かと感情を共有したい気持ちでいっぱいだったのかな。

わたしも毎週、書かないと眠れないのがわかっているから見た直後に書いているわけだが、おかげで毎週火曜は寝不足である。USの視聴者はよくこれを見たあと月曜日を迎えられるな。あっちはGoTが社会現象レベルになっているから「推しが死んだのでお休みします」が通じる職場もあるのかもしれない。

さて今日は昨日感情の赴くままにというか感情に振り回されるままに書いた感想を読み直して、ここは言い足りないとかここは思いなおしたとかいうところを補足してみたい。

 

 

 

「元奴隷」という存在に対するバイアス

昨夜わたしは、ミッサンディがデナーリスの狂王化スイッチになったことを悲しいと書いた。ミッサンディが望んでいたのは本当に「これ」だったのかと。

わたし、ミッサンディという「元奴隷」に対する「いい人」バイアスがかかりまくりだった。彼女は自分の言葉が彼女のクイーンをどう動かすかを理解していたし、その結果を望んでいた。ミッサンディが望んでいたのは本当に「これ」だった。彼女は自分を虐げる者を、あるいは彼女のクイーンに跪かない者を、「燃やし尽くせ」と望んだのだ。

4話で、船の上で微笑み合いながら手をつなぐミッサンディとグレイワーム。一見ほのぼのシーンである。そして次に待つ悲劇の前ふりでもある。その意味にとらわれすぎて、あのシーンの異様さに気づかなかった。

あれは、「これから他国を侵略し住人を殺そうとしている人の笑顔」だ。どんなにほのぼのに見えても、あれは「そういう場面」なのだ。逆に「そういう場面」であんな幸せそうな笑顔を浮かべるふたりが、今はとても恐ろしい。

自軍に超強力な兵器があることをわかっていて、勝利、すなわち相手の大敗、すなわち相手の大量死をほぼ確信している人間の、圧倒的侵略者メンタリティの発露だ。

もし北部がデナーリスに跪かなければ、彼女はウィンターフェルに対してあれと同じことをしただろうし、ミッサンディは北部が焼き払われる前にやっぱりあの笑顔を見せただろう。

わたしはデナーリスに対してはもともとあまり感情移入できなかった。このブログは基本的に「面白い」ものについてだけ語る場所なので、彼女についてはS7までほとんど語ってこなかった。

デナーリスは暴力で物事を解決する人間だ。そしてその暴力が実に爽快に描かれる。人間は人の死を娯楽にできるし、人が苦しんで死ぬ様子を見て拍手を送ることができる生き物だ。奴隷の決闘を娯楽にしたり、死刑のたびに見物人が集まってお祭り騒ぎだったりした頃に比べれば秩序化、文化化は多少進んだものの、メンタリティは大して変わっていない。彼女が「ドラカリス」と口にするたびに、視聴者がそれに喜ぶたびに、それを思わされてきた。

いやわたしだってめちゃくちゃ人の死を娯楽にしているし、人が苦しんで死ぬ様子を描いた作品を娯楽として消費しまくっているのは、このブログのカテゴリ一覧を見れば一目瞭然だ。

しかしともかくデナーリスに対しては、その暴力性、危険性がかなり肯定的に描かれてきたことにわたしはずっと抵抗感があった。だから彼女に対してはそこそこ距離をとって見てきたつもりだった。

だがミッサンディに対しては、比較的その感情によりそう形で視聴してきた。虐げられてきた人には幸せになってほしくて(デナーリスももともとは「虐げられてきた人」の側だったのだが)。だからうまく距離をとれていなかった。

あの船上の笑顔のヤバさに気づくのに、一週間以上かかってしまった。

かくも人は、「目にしたもの」を目にしたままに解釈することが難しい。レッテルを貼って、わかりやすい文脈に沿って解釈してしまう。

ミッサンディは常にデナーリスの隣で、人が燃やされるのを見てきたはず。彼女のクイーンがキングスランディングで何をするのか、わかっていたはず。

跪かない相手なら、民間人だろうが殺戮するであろうことはわかっていたはず。

その上で、これから起こる殺戮に、殺戮の末の彼女のクイーンの凱旋に、胸を躍らせて彼女は笑っていたのだ。その隣のグレイワームも。

きっと歴史上「侵略者」とされる人々も、ああいう「未来への希望に満ちた」笑顔を浮かべて殺戮に向かったのだろう。

「元奴隷」だって侵略者になれる。「無垢ないい人」というステレオタイプに描く必要はない。わたしはミッサンディ(とグレイワーム)にそういうステレオタイプを押し付けてきた。そういうこと、なのだと思う。

 

これについてはいろいろな見解がありそうだが、たとえミッサンディが生きていてもデナーリスはキングスランディングを焼いた可能性はあったのではないだろうか。彼女は最初からずっとキングスランディングを灰にすると言い続けてきたのだし。

ウェスタロスに上陸してまっすぐキングスランディングに向かっていたとしても、やはり近い結果になったのでは。

デナーリスは「民がこれ以上暴君に虐げられないように」みんな燃やそうとしたのでは?

デナーリス軍において、ティリオンとヴァリス以外のすべての人があれだけの侵略者メンタリティに染まっていたのだとしたら、彼らのクイーンがどんな行動に出るかは決まったようなものだった気がする。

 

タイレル式呪術の完成

ssayu.hatenablog.com

以前書いたこの7-3感想記事のことをふと思い出して読み直したら、めっちゃ面白いこと書いてんな、過去のわたし(絵に描いたような自画自賛)。

7-2オレナさんの "The loads of Westeros are sheep. Are you a sheep? No. You are a dragon. BE a dragon." という言葉が今回身を結んだわけだ。あの世で拍手しているオレナさんが見える!

その直前の「多くの賢者の言葉を無視してきたからこそ私は彼らより長生きした」という言葉とセットで、これはデナーリスへの呪いとなる。

本来君主のあり方は「羊」と「ドラゴン」の二択ではない。オレナさんは極端な二択を提示し、デナーリスに突きつけた。二択ではないものを二択だと思わせる呪いである。

ティリオンが止めるのを聞かず、キングスランディングに侵攻してしまう結果になりそうだ。まあ全視聴者がそれを待っているわけだが。

こことかさあ、なんだお前、S8を見た後に書いたのかあるいはお前が三つ目の鴉だったのかと自分でも思う。

いやわたしじゃなくてすごいのはGoT制作陣だ。よくできてるな~!

その後のオレナさんとジェイミー、サーセイについてもそこそこ面白いことを書いているが、結論については残念だったな! という感じ。あとリトルフィンガーについてはおきのどくでしたね。

 

「雪」の中の玉座

5話放送後すっかり話題になっている、2-10でデナーリスが見たヴィジョン。わたしも見直してきた。

「雪」の舞い散る中で、デナーリスは鉄の玉座に近づく。周辺は荒廃しており、玉座の周辺には何もない。

当時はそれをナイトキングさんがレッドキープを襲った未来のヴィジョンか何かかと思っていた。デナーリスはこの未来を回避することができるのかな? と。

いやいやいや、あれは「雪」ではなかった。

デナーリスの髪や腕についた「雪」が溶ける様子がない。

当時見たとき、このフェイクスノーっぽさはもうちょっとなんとかならなかったのかと思った記憶がある。ごめん、味噌汁で顔洗って出直してくるわ。

 

「運命」という行動理由

デナーリスもサーセイも、結局「家」や「血」には抗えないのか、これはそういう結論に至る物語なのかという感想をちらほら見る。

サーセイの件はまだ語れる気がしないのでおいといて(昨日からこればっかりだな!)、とりあえずデナーリスについて。

彼女は自ら「運命」を行動理由に掲げていた。自分が玉座につくのは「運命」なのだと。これはデナーリス・ストームボーンの生まれながらの運命であり、不可避の未来なのだと。

めちゃくちゃ抗っていないわけ。

デナーリスの発言に「これはアカン」と感じるのはS8以降もう何度目かわからないくらいだったが、この運命発言も特大のあかんやつだった。

5話を見る前のわたしはデナーリスに対して「なにがきみのしあわせ? なにをしてよろこぶ?」いきなりアンパンマンを召喚して問いをぶつけたわけだが、結局5話でも彼女の態度は変わらなかった。

「運命」を行動理由にする者に、果たして「個」としての意思はどこまであるのか。

さっき上でミッサンディが生きていても彼女はキングスランディングを燃やしたかもしれないと書いたが、たとえドラゴンを手に入れたあと誰も彼女に影響を与えないままひとりでウェスタロスに来たとしても、結局は燃やしたかもしれない。彼女の行動理由が本当に「運命」なのだとしたら。

 

この物語において誰よりも「運命」に抗ったのは、たぶんピーター・ベイリッシュ持たざる者が、自らの知恵と勇気だけであそこまで「運命」に抗ったのだ。その結果、「ゲームオブスローンズ」という物語が始まることになる。

そしてその次が、スターク姉妹。彼女たちは「持たざる者」ではなかったけれど、ふたりとも一度はどん底を経験している(その点はデナーリスも同じなんだけどな~)。

でもあのふたりは、そこから這い上がるのに「運命」を口実にしない。

彼女たちは「偉大なるネッド・スターク」の呪いから解放されて、それぞれまったく「スターク」らしさとは異なる道を選んだ。運命にも血にもがっつり抗っている。

同時に彼女たち自身は「スターク」の名を呪っていない。今も「家族」を大切にしている。「家」という呪いから解放されることと、「家族」を大切にすることは両立できる。そういう可能性すら示しているのではないだろうか。

最終回でデナーリスに、そしてアリアとサンサに何が起こるのかはまだわからないが、わたしは最後に勝つ者が「運命」で決まっていたとかいう話ではないことを望んでいる。

 

あ、次回予告きてた。

ば、バッドエンド臭がすごい……!!(期待に満ちたまなざし)

 

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