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伝わる子守歌「デスストランディング」クリア後感想

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「デスストランディング」クリアした!

約2か月に渡る七転八倒だったが(サムが転びまくった的な意味で)、終盤は続きが気になって一気にクリアしてしまった。しかし「あと少しで終わるな」と思ってからのエンディングがめちゃくちゃ長かったので、平日の夜にクリアするべきではなかったかもしれない(でもクリアしてしまわないと日中ずっと上の空だったと思うから……)。

絡み合ったシナリオがきれいに一本にまとまっていく終盤の様子はとても気持ちよかった。誰とも繋がれなかった男が繋がれるようになる物語であり、行きて帰りし物語でもあった。

クリアしたものの、まだ各地のプレッパーたちとあまり仲良くなれていないので、もう少し配達して回り、ドキュメントとメモリーチップとメールは全部見ておきたいと思っている。

以下、ネタバレ感想。

 

 

 

親子の物語

デスストにはさまざまな形の「親子」が登場する。

ブリジットとサムを初めとして、サムとルー、フラジャイルと父親、ママーと娘、ハートマンと娘、登山家にも子供が生まれたし、ヒッグスの親にもドキュメントで言及されていたし(正確には叔父かな)、カイラルアーティストの母(これも本当の親ではないが)、なんていうのもいた。

で、最後にサムとクリフの関係も判明した。

わたしが最初に「ん?」と思ったのは、2回目の邂逅後にクリフがルーをスルーしてルーデンス人形に手をのばしたとき。前の感想記事でも指摘している。まさかイゴールとクリフの間に何か関係が? と思ったりしたが、あれは人形自体に思い入れがあったという描写だったのか。

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「あれ?」と思ったのは、サムがBBのことを「ルー」と呼び始めたとき。愛着のある子供に対しては、確かに名前で呼ぶのが自然だろうと思った。つまり、かわいい我が子を「ブリッジベイビー」などという一般名詞で呼ぶのは不自然ではないかという疑問が沸いた。

このときは、もしかしたらクリフの言う「BB」は「ブリッジベイビー」以外に別の意味がある、というかこの子の本当の名前のイニシャルがBBなのかと思っていた。実際にはやっぱり「ブリッジベイビー」であり、同時に普通に baby の bb だったっぽい。

瀕死のクリフがBBに歌をうたったときに疑惑が高まった。あれ、サムが休憩中に口笛やハーモニカで演奏する曲だよね。どうしてクリフがその曲を??? とかなりびっくりした。

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動揺しつつもちゃんとスクショを撮っていてえらい

あの荒廃した世界には音楽というものがあまり残っておらず、音楽といえばみんなあの曲くらいしか知らないのか? と一瞬思ったが、そんなわけはなかったぜ。作中であんなにミュージックが手に入るもんね!

で、何もかもわかった後に、サムがルーにあの曲を聞かせているのを思い出すとめちゃくちゃ泣けるわけ。たぶん自分的にはここがいちばん涙腺にきた。サムはあの曲を覚えていた。BBだった頃のことは忘れてしまっても、父親に歌ってもらった曲のことを覚えていて、それを「自分の子供」に伝えようとしていたのだ。

「デトロイト」のときもそうだったが、あらかじめ聞かされていた音楽が重要な局面で重要な役割を担って登場すると胃がひっくり返るほど驚くし、すごく心を動かされてしまう。

「崖(クリフ)」をこえて「橋」を架ける、それがサムの物語だった。これもある種の「親殺し」譚だったんだなあ。

 

デスストのジェンダー

デスストにおける男女の役割は、従来のいわゆるジェンダー的役割とは少し違っていて面白い。

クリフのように「私の子供を返して」を連呼するキャラって、かつては大抵の場合「母親」側ではなかっただろうか。思いっきり鬼子母神じゃない?

そういうある種の「母性」を感じさせる役をマッツ・ミケルセンにやらせたというのがデスストのすごいところ。そもそもマッツから臍帯がのびてたしな。母性どころの話じゃなかった。えらいものを見てしまったと戦場エリアでは終始思っていた。マッツ目当てでPS4まで買った甲斐があったよお……。

 

ついでに、主人公の冒険を導く「賢者」ポジションが女性(ブリジット/アメリ)なのは、どうかな、それほど珍しくはない? ドラクエでいえば最初の城の「王様」ポジションだよね、ブリジット。

主人公を荒波に放り出し、成長を促し、最後は「倒される」(ここでは比喩的な意味で)ことによって主人公の成長を完了させる存在は、やっぱり多くは「父性」側のキャラが担ってきた。ブリジットを倒すという意味でもこれは「親殺し」譚である。

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なんとなくカメラを回していたら背景に何かいて腰を抜かした

この場面で奥にかつてのふたりがいるのだが、最初にブリジットに迫られたとき、あの動きがBTっぽいなあと思ったのだが、それもあながち間違った印象ではなかったわけだ。

 

そして圧倒的ヒロイン力で何もかももっていったデッドマンさん。

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わたしもです

「こんなかわいいBBを殺すなんて無理」とポッドを抱きしめるシーンとか、これも従来なら女性の役割だよなあ。

そしてあのときビーチまでサムを迎えに来てくれたのは、ビーチを持たず誰とも繋がれないと言っていたデッドマンさんだった。

せりふを正確には覚えていないのだが、ママーが最初にサムに気づいてくれたんだっけ。それがロックネに伝わって、ハートマンさんが探しにきて、フラジャイルがデッドマンさんを飛ばしてくれた、とかそんな感じだったと思う。

ここまでサムが繋いできた「縄」が、最後に彼を引き上げてくれたんだと、画面を見ながらしみじみ感動していたのだが。

これひょっとして、ここまでがブリジット/アメリの計画通りかもしれないな?

結局みんな、ブリッジズ幹部なわけでしょ。ブリッジズ幹部って特殊能力持ちを積極的に集めてたんでしょ(ダイハードマンだけは能力者ではなかったようだけど)。その採用にはブリジットもかかわってたんでしょ。

ブリジットが最初のBB=サムを生かして絶滅計画に組み込んだ時点で、サムが人類の延命を選ぶ可能性は考えてたんじゃないかな。そうなったときにアメリのビーチから帰る手段がないことも、当然わかってたんじゃないかな。だからサムが帰る手段を確保するために、能力者を揃えてサムが道中で彼らと縁を結べるよう配置した、とか。

現時点でのわたしの解釈はそんな感じだ。

 

まだまだ語りたいことはいろいろあるのだが(色の意味とか、蜘蛛の巣モチーフについてとかな!)わたしには配達を待つピザがあるのだ(サウスノットシティからピーター・アングレールのところまで豪雨の中配達したところ「時雨農場からもピザを配達してくれ」とメールが来て、お前死んだんじゃなかったのかよと思いつつ、あまりの豪雨にこれイベントが終わらないと雨がやまないやつだわと思ってポートノットシティまで行ったらもう引き返せなくなってしまったのであった。なおピーターくんは死んでなかった模様)。

続きはまたの機会に。

 

ssayu.hatenablog.com