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夜長アンジーと絶対的死生観「ニューダンガンロンパV3」キャラ語り06

V3のアマゾンレビュー数がVita版だけで625件になっている(20170220現在)。PS4版と合わせると1000件を超える。Vitaカテゴリの中でこの数は群を抜いている。Vita本体のレビューが499件なことを考えると、どれだけのことかわかると思う。

中には明らかに理解が及んでいないレビューもあるし、こいつプレイしてなくね? なものもあるが、それ以外の多くの人が、賛にしろ否にしろプレイした感想を何らかの形で言語化したくなるゲームだったことは間違いない。わたしもこの場でかなり長々と感想やら考察やらを垂れ流している身なのでよくわかる。何もかも製作者の手の上である

 

さて本日のメインは夜長アンジー。前回の真宮寺くん語りと対比させながら書いてみようと思う。ネタバレまみれにつき注意。

ssayu.hatenablog.com

 

 

 

真宮寺とアンジー

個人的にお気に入りな真宮寺くんと、非常に恐怖を感じるアンジー。

この二人は対になるようにデザインされたものと思われる。まずわかりやすいところから比較してみよう。

 

服装

肌を見せない服(手まで包帯を巻く徹底ぶり)/露出の多い服

 

髪色

黒髪/白髪

 

口調

語尾がおかしい/イントネーションがおかしい

 

才能

非言語文化を含む各地の伝承や風習を言語化して保存する(民俗学
/言語情報を含む情景や感情を非言語化して保存する(美術)

 

執着の対象

他者(人間存在そのもの・姉)/自己(神)

 

ほかにもいろいろありそうだが、とりあえずこれくらいで。名前も「ジ」音で韻を踏んでるな(適当)。

表層的な情報だけでもこの二人の比較は面白いのだが、本題はここから。

 

死生観の対比

この二人についてわたしがいちばん興味を持ったのは、死生観が対照的なところだ。

真宮寺くんの死生観については前回語ったとおり。要するに各地でさまざまな神話や民話、伝承を収集するうちに、それらすべてが内包する死生観を徹底して相対化したという話だ。

一方アンジーの方はといえば、自己のイメージする神が啓示したもうた死生観を絶対視している。ほかの死生観が存在することはおそらく認識できているが、彼女がそれらを認めることはない。彼女は多様性を認めないのではなく、多様性を知らないのだ。誰も彼女に教えなかったから。

「死んだら神様のところへ行く」だけだから心配ないという態度も、シリーズを通してみても異色すぎる。真宮寺くんから見れば、それは世界中に多々ある宗教の教義の一つにすぎない。また教義として大したオリジナリティもない。

アンジーの教義のオリジナリティといえば、信者ごとに神が形を変えるという部分だろうか。それは厳密にはアンジー自身の人を見る目の賜物で、教義とも違うのだが。

アンジーの特殊性は教義がどうとかいう話ではなくて、彼女の生い立ちの方だろう。初めは子供の気まぐれな思いつきの発言だったであろう「神様の声」を、大人が本気にしてしまう環境だ。話を聞けば聞くほど彼女の「島」は異常な世界なので、真宮寺くんにはぜひフィールドワークに出かけてほしかった。

 

真宮寺くんはアンジーの教義を否定も肯定もしない。民俗学者はすべてを書き残し保存するのが仕事だからだ。アンジーの言動も、彼女に洗脳される人や反発する人の言動も、真宮寺くんにとっては観察対象だ。あそこから出られたら、アンジーをめぐるあれこれも、そのうち民俗学的に解して並べて揃えて晒すつもりでいたかもしれない。

絶対的死生観を持つアンジーにとって、価値観の相対化をもたらしかねない真宮寺くんは天敵といってよい存在だったが、双方に敵対する意思がなかったため、二人の直接的対立は避けられた。真宮寺くんにとってアンジーは、これまでに見てきた多数の「教祖」のうちの一人であり、(コロシアイにおける状況をあまりに悪化させない限りは)とりたてて否定や反発をする必要は感じなかったはず。アンジーの方も基本的には「来るもの拒まず、去る者追わず」なスタンスで、このあたりが真宮寺くんに評価された(=お姉さんの友達にふさわしいと思われた)のかもしれない。

(ちなみに大抵のまっとうな宗教家は民俗学者にも寛大である。しかるべき手順を踏めば、いろいろと教えてくれる。自分たちの築き上げた文化や価値観を後世に保存したい気持ちもあるのかもしれない。しかし民俗学者が「教祖」に会う際には、いろいろと工夫やら配慮やらが必要だろうと思われる。「教祖」というものは自分をワンオブゼムにされることを望まないだろうから。さすがにやったことないけど)

 

そういった潜在的対立構造とはまったく無縁に、真宮寺くんがアンジーを殺したというところが3章の面白さだ。わたしも事件発生当初は、アンジーの教祖化に危険を感じた真宮寺くんが手を下したか? と考えたものだった。あれが偶然起こった突発的な事件で、しかもその後真宮寺くんがせっかくだからもう一人殺しておこうかと思わなければ完全犯罪になりえたなんて……真宮寺くんというキャラの面白さがあそこにぎゅっと詰まっていると思う。

あの台無し感、徒労感ときたら、シリーズ随一と言ってもいいほどだ。たまりませんな!!!

 

二人の共通点

真宮寺くんとアンジーは対比されてデザインされているが、共通点もある。人の本質を見抜く能力に長けている点だ。真宮寺くんは殺す相手を選ぶために、アンジーは相手の弱点を的確に突いて洗脳するために、それぞれ人間観察スキルを磨いてきた(アンジーは無自覚だろうが)。

特にアンジーの直観と観察眼はエスパークラスで(直観と観察眼と才能を武器にして世間に認められたという意味では舞園さんにも通じるキャラか)、1章の学級裁判でもかなり核心に迫った発言をしている。白銀さんは内心ガクブルだったのではないか。

 

アンジー語りのはずが半分くらい真宮寺くん語りになってしまったが、わたしにとってのアンジーの面白さのポイントは真宮寺くんとの対比にあるものだから仕方ない。

さて、次は誰にいこうか。

 

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