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「ホームズもの」としての「大逆転裁判1&2 -成歩堂龍ノ介の冒險と覺悟-」

大逆転裁判1・2」をクリアした!

長距離移動の日のおともに少しずつ進めていたのだが、後半の盛り上がりがすごくて一気にクリアしてしまった。

逆転裁判シリーズとの付き合いはiOS版の「1・2・3」が初めてで、これは繰り返し遊んだ記憶がある。というか、ベルリンにいた頃に日本語を摂取したくなるとこれで遊んでいたので、今でもナルホドくんの顔を見るとベルリンの地下鉄を思い出すくらいだ(隣の席の小学生に画面をガン見されながら遊んだ思い出)。

その後5もiOS版でクリアして心に傷を負い(やっぱりあれは今でも鮮明に思い出す衝撃の結末であった)、それからはしばらくシリーズから離れていたのだが、switchで大逆転がまとめて発売されるということで久しぶりにやってみることにした。

やってみてすぐにああ~~テキストのこの感じ、懐かしい~!!! とすぐに逆裁世界に戻ってこられた(巧舟さんの独特のセリフまわしはかなり好きだ。たぶんいちばん好きなのは「ゴーストトリック」かな)。

無事クリアすることができ、今回もとても楽しめたので感想を残しておくことにする。

ネタバレ全開につき注意!!(123についても言及あり)

 

 

 

 

 

 

は、はい……

 

「ホームズもの」への挑戦

実は「大逆転裁判」は3DS版発売当時も存在を捕捉してはいた。なぜ当時のわたしが手にとらなかったかというと、まず第一に当時別のゲームにはまっていたという点が大きいのだが、パッケージに描かれた「ブロンドのホームズ」という存在への違和感が大きすぎたためだ。

わたしはそんなに過激なシャーロキアンではないが、ホームズといったらブルネットだろうが! みたいなイメージはなんとなく持っている(たしかホームズ初版の挿絵でブルネットで描かれていたのだったかな)。

主人公が日本人だからホームズまでブルネットにすると黒髪キャラばかりになるという事情もわかるのだが、やっぱり初見でテンション爆下げになるのは否めない。

シャーロック・ホームズ」のファンはかくも面倒くさい。小学生の頃に原作を読んで、あとはホームズもののドラマや映画をいくつか見た程度のわたしですらこれだけ面倒くさい。そして過激なシャーロキアンというのは世界中にいる。「推理・謎解きもの」のゲームを愛好するゲーマーのうちの何割かはそういうタイプである(たぶん)。しかも当時は「シャーロック」の大ヒットの影響か、やたら「ホームズもの」を目にした時期。「またか」と思ったのも事実である。

逆転裁判シリーズがあえて「ホームズもの」をやろうと、しかもナルホドくんのご先祖とホームズを絡ませようと、そういう超巨大な「挑戦」をしようとしているのはわかったのだが、シャーロキアンから反感を買うようなものにならなければいいけどなあ、というのが初見の感想だった。

 

で、やってみたところ、なるほどこういう方向性か~……と唸った。

最初は有能なんだか頓珍漢なんだかよくわからないあの感じ。過激派は怒らないか? と心配になりながら進めていた(まあ、たぶん真の過激派は日本人留学生と絡むホームズ作品は手に取らないよな)。

いや、そんなことよりまずあの出オチドクター・ワトソンだよ。し、死んでる……!?

過激派大丈夫か(以下略)

あれは特大の出オチであると同時に、「あなたが思ってる『ホームズもの』とはだいぶ違いますよ」というエクスキューズにもなっている。

メタ的な視点で見ると、そもそも日本人留学生がロンドンでホームズと「相棒」になろうと思ったら、最大の障害は「ワトソン」の存在である。彼のかわりに「相棒」の座におさまるには、「ワトソン」の存在感を減らして脇役に徹してもらうか、最初からいなかったことにするか、死んでもらうしかない(実際には「最初からいなかった」に近かったのも面白いところ)。

またホームズについてもメタ的に考えると、「ホームズが主人公のゲーム」であればホームズをどれほど有能に描いても大丈夫だが、「主人公がホームズではないゲーム」でホームズが有能すぎると、主人公(=プレイヤー)がやることがなくなるのである。主人公を「ホームズ」的なポジションにおく以上、ホームズこそが「ワトソン」役を務めなければならない。だからこそ、のあのキャラなのだろう。

話が前後したが、その後ロンドンで出会う「アイリス・ワトソン」。ああいう流れで「父親のことを知らない」と言われると、「あなたのお父上はもう……」と口ごもるしかない。そういう事情で、ナルホドくんとプレイヤーは常にアイリスに対して(「こんなのわたしの知ってる『ワトソン』じゃない!」という感情のかわりに)一方的に秘密と罪悪感を抱え続けることになる。全然そういうことではなかったのにな!!!

 

最後までやると、あのスーパーファンタジーロンドンならアリかな、と思える程度には「ホームズ」のキャラも「ワトソン」のキャラもかなり配慮されたものだった。

 

 

大逆転世界における「ホームズ」

どこまでが素でどこまでわざとやっているのかラインが微妙なところだが、やはり最終章の姿が本来の彼なのだろう。

推理があさっての方向にいってしまうアレは、思考が先走りすぎるのが半分、ナルホドくんを育てようという意図が半分くらいかもしれない。

ホームズは自分の推理を披露する際、「論理と推理の実験劇場」と言っていた。ゲームとしての演出も非常に「劇場的」で、カメラ目線なあの感じも含めてわたしはあの「推理ショー」が好きだ。彼は自分の推理を聞かせる相手を「観客」だと認識しているのである。そして「観客」がいてこそ「探偵」は輝く。

だが、「観客」がいてこそ輝くものはもっとほかにある。「弁護士」である。

「法廷ショー」なんて言われるくらい、法廷では「観客」を意識したふるまいが求められる。「観客」を味方につけるのは、弁護士にとっても検事にとっても重要なことだ。

「論理と推理の実験劇場」を深読みするならば、あれは弁護士たるナルホドくんにホームズから「劇場的振舞い」を教えていることになる。

それは最終章のあの局面で、ホームズ自らが実践してみせることでナルホドくんに受け継がれた。

いやあ良いアジテーターだよホームズは。あれは完全に「ホームズ劇場」だった。

いつものようにあさっての方向にはいかず、的確に「観客」の心を動かすホームズ。

それを見たナルホドくんは、ここにきて初めて観客に呼びかける。

呼びかけた瞬間が撮れてなかったのでここ

初めてナルホドくんの背後視点で見る法廷。3Dでモデリングした甲斐があったシーンかもしれない。

ホームズから「劇場」のやり方を教わったナルホドくんが、最後の最後に法廷を「舞台」に変える。あの展開は熱かった。

ゲームの中では「ワトソン役」を務めるホームズだったが、ナルホドくんにとってはある種の「メンター」であり、事件を未然に防ごうと画策していたこともわかり、探偵としての有能さもわかった。

最後のあの時代設定もすっとばした反則級発明品も、作品に「ホームズ」を出すからには彼の顔を立てて終わるべしということかなと思っている。

 

 

大逆転世界における「ワトソン」

この作品において「ワトソン役」といえる人物は複数いる。

ナルホドくんはホームズから見れば「ワトソン役」である。

ナルホドくん(=プレイヤー)から見ればホームズが「ワトソン役」である。

またスサトさんも「ワトソン役」に該当する。

「ドクター・ワトソン」は登場するが、彼はホームズの相棒ではないし、出オチ要員である。ここがこの作品の最大の仕掛けだといえるかもしれない。「ホームズ」の相棒は「ワトソン」であるというプレイヤーの思い込みがうまく利用されている。

アイリス・ワトソンはホームズに育てられた「娘」であり、相棒であるともいえるかもしれない。ナルホドくんにとっても良いサポートキャラだった。プレイヤー的にはなじみの、はみちゃんポジのキャラである。

そしてホームズの過去の相棒はミコトバ教授だった。これはわたしも予想外で、ミコトバステップとともに披露されたコンビ復活シーンは短いながらもとても見ごたえがあった。あのキャラクターデザインも、和装のときは普通の日本人中年男性にしか見えなかったが、洋装になるといかにもワトソン然としている。

「御琴羽」という姓はスサトさんのために用意された上品な女性としての名前かと思いきや、もしかして「御言葉」からきているのだろうか。シャーロック・ホームズの活躍を記録した人、という。最初は「悠仁」という名前に親王殿下と同じとは……と思ったが、「ゆうじん」と読むということは誰かの友人なのか? と身構えた。そうか、ホームズの友人だったか。

「ナルホドくんとホームズ」を「ホームズとワトソン」にしなければならないという事情から生まれたトリックだったのだろうと想像されるが、アイリスの父親とホームズの相棒に絡む謎が自分としてはいちばんおもしろかった。「原作」があるからこそ成立するトリックであり、物語である。

 

 

大逆転世界における「レストレード」

グレグソン刑事が出てきたときは、なぜこの人が「レストレード」ではないのかと不思議だった。グレグソンも原作キャラであり、レストレードのライバル刑事ではあるが、このキャラクターならレストレードでいいじゃん、と。

そうしたらすぐに被告人で「レストレード」が登場して、これまたなんで!? と驚いた。まさかこっちも「レストレード警部」になるとは。

ストリートチルドレンにしては身なりがよすぎないかとは思っていたが、こうなるのを見越したキャラクターデザインだったわけか。

このふたりの師弟関係、あるいは疑似親子関係はよかったな。

それだけにグレグソン刑事の死は大ショックだった。最初は誤報とか実は死んでなかったみたいな展開を想像した。現場写真が出てくるのも遅かったし、なかなか信じられなかった。

グレグソンからジーナへの手紙は、あれはきっと「遺書」なのだろう。彼はホームズから身の危険を警告されていたし、自分が仕えているのがどういう人間なのか、わかっていたに違いない。

ふたりでパリに行ってほしかったな……。

彼の遺志はジーナに引き継がれ、その名はトビーに引き継がれた(トビーはトバイアスの愛称)。彼らが警察組織の中で今後やっていけるのかちょっと不安はあるが、ホームズもバンジークスも亜双義くんも見守ってくれているだろう。

ジーナは不遇な環境で育った子だが、グレグソン刑事の仇をとりたいと思いつつ、そこで非合法な手段をとろうとはしない。あくまで警察組織の一員として動き、法のもとで仇を討とうとしている。それが「師匠」との違いである。

大逆転世界では親子や師弟が非常に似た行動をとっているが、若い世代の方は決定的な部分で一線を超えず踏みとどまる。それこそがこの世界の示す「希望」なのだろう。

 

(20220612追記)

そういえばグレグソン刑事はアイリスの出生について何か察していたりしたのだろうか。バンジークス家とかかわりがあった彼なら、クリムトの奥方懐妊のしらせを聞いていてもおかしくない気がする。バロックが全然察してなかったようなのでグレグソン刑事も知らなくてもおかしくはないのだが、あのアイリスへの媚び媚びな態度はもしかしたら……と思わなくもない。

(追記ここまで)

 

 

というわけで、今日はホームズファンから見た「大逆転裁判」の感想。

バンジークス検事のこととか亜双義親子のこととかまだ語りたいことはあるのだが、そちらはまた今度!

 

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