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はじめてのおつかい「ハウスオブザドラゴン」1-10感想

https://twitter.com/HouseofDragon/status/1584364693811970053

「ハウスオブザドラゴン」シーズン1完走!!

以下、ネタバレ感想!!!!!(早)

 

 

 

 

 

 

 

 

原作に手を出すべきか

さて、原作を解禁するか?

年表とか家系図も見ちゃう?

ここまで奇跡的にネタバレをほぼ踏まずに来られたので、このまま情報を遮断してドラマを楽しんでいくべきか迷っている。

ただ、我々は今ドラマ版「ゲームオブスローンズ」の結末を前提に「ハウスオブザドラゴン」のストーリーを追っている。すなわちターガリエンの持つ苛烈さ、独善性、暴力性はこの後レイプ被害者の女性を焼き、捕虜を焼き、忠言した部下を焼き、キングスランディングをそこに住む民とともに灰にした挙句に滅びを迎えるのだという前提である。

当然見る側はターガリエンらしい苛烈さ、独善性、暴力性に対して警戒しながらの視聴になる。こんなふうに積み上げてきた「ターガリエンの歴史」が最後にキングスランディングを灰にする形で結実するのだと、ひとつひとつの描写に、すでに決まっている未来を思うことになる。そしてターガリエン的なものが「英雄的」に描かれるたびに、その描写に必然的に潜む危険性を感じとってしまう。

 

しかし原作「ゲームオブスローンズ」はまだ完結しておらず、結末は全然違う可能性もある。GRRMが全然違う結末を想定しているなら、「ハウスオブザドラゴン」の原作もドラマとは全然別の意味を持っている可能性がある。過去とは現在から遡って規定されるものなのだから。

となると、ドラマは「ドラマ版を前提とした過去」として楽しんで、原作はそれとは別に楽しむべきか……迷うなあ。まあシーズン2が公開されるのは2年後だというし、読むにしてものんびりやろう。

 

 

はじめてのおつかい@ウェスタロス

まあね、ろくなことにならんだろうなとは思ってたよ、だってここはウェスタロスだもん。

まず、諸名家のところに使者を送っているのが自分たちだけだと思っているあたりは、いくらなんでも政治に携わる者として読みが浅すぎた。「歓迎してくれるはず(フラグ)」になってんじゃねーか。

ただ、もしかするとこれはエイモンドも「自分が使者として行ってくる、ドラゴンなら速いから、絶対レイニラの使者よりも速く着いた方がいいよね!」と自ら主張して出立したのかもしれない。

なにしろ親戚のおばさんが亡くなった→即ドラゴンチャンス! という発想に至る、抜け目のない子だ。そのへんの機微にはレイニラやその息子たちよりも長けているのかも。

だけどルケアリーズを殺っちゃったのはまったく意図しない結果だったようだ。役者さん、いい表情するなあ。これが完全に開戦のきっかけになることはあの場で理解できたってことよね。

 

しかしこれ完全に、元いじめられっ子が成長して力を手にして復讐する構図なんだよな。幼い頃のエイモンドはドラゴンを持つことができず、豚を渡されて笑われていたわけで。いじめられた方は大きくなってもそのことを忘れないし、許せないんだよな。しかも直近の会食でまた豚の件で笑われていたし。

これはゲースロ時代にもよく見た、無力だった人間がやがて力を手にして反撃する構図でもある。そもそもデナーリスももともと無力で、兄に虐げられ、ドスラク人に売られたところから力を得ていくストーリーラインだった。

あれ、そう思うと「ハウスオブザドラゴン」におけるデナーリスの立場に最も近いのは、もしかしてアリセント??? 無力なひとりの女性が、自分に選択肢のない性行為から始まった関係によって力を得て、次第に「女王」としての自覚に目覚めていくという意味ではとても似ている気がする。

逆にレイニラは最初から「持てる者」なので、そういう意味ではデナーリスには似ていない(レイニラが「持っているもの」は最初がピークだったのだろうな……)。

 

エイモンドもルケアリーズも、どちらもドラゴンを制御しきれていない。ヴァリリア語の習得だけではだめなんだなあ。

というか、そもそもドラゴンは思いっきり核兵器のメタファーだ。我々は人間の手に余る兵器を持つべきではないという教訓が再び提示された感じだ。

まあね、ポストゲースロ時代の現代にもドラゴンによる恫喝外交を賞賛するファンは多いわけで、そりゃ歴史はなんぼでも繰り返しますわとも思っている。

 

それにしても、この件に関してだけではないが、「アリセントの子育てが最悪」という感想を見るたびに、子育ては女性がもっぱら行うもので男性は責任を負わなくてもよいのだという前提での主張をこれだけ大っぴらに堂々と述べることができるという現代社会のあり方をまざまざと感じさせられている。きっついわー。

 

 

レイニラとデナーリスの描き分け

1話を見たときから、わたしの関心はそこに集中していた。

最初に書いた感想で、わたしはこう綴っている。

 

この物語のポイントは、基本的に視聴者の誰もがデナーリスの結末を知っているという前提で作られていること。

そしてその前提の上で、レイニラの造形を露骨にデナーリスに寄せているということ。

苛烈で、独善的で、問題の解決方法はすべて暴力、国土を焼き、民を焼き、それを「救済」だと信じきっていたデナーリス。そのあまりにも危険すぎる人格のすべてを、「美人の白人女性」という属性によって覆い隠してきた彼女。

レイニラは、そんな彼女にそっくりだ。よくこんなそっくりな子を連れてきたものだ。特に体型がそっくりなので、1-1の最初のシーンなんて、彼女が振り返るまで本当にデナーリスと見紛うほどだった。

ドラゴンに乗った彼女がドラゴンストーンに現れる描写は、実にヒロイックだった。彼女がドラゴンの卵を取り戻すやりとりは胸がすくようだった。だからこそ危険なのだ、彼女を英雄的に描くことの意味を考えろと頭の中で警鐘がガンガン鳴って、あのシーンでは本当に胸がむかむかした。

GoT履修済みの視聴者の多くがその二律背反に苦しんだはず。彼女の英雄的行為を称えるべきか? それとも危険視するべきか? そんな視聴者の悩みを想定して製作されているはず。

レイニラはこの先どうなるのか。どれだけデナーリスと似せるのか。どれだけデナーリスから離れるのか。ふたりの描き分けはどうするのか。その方向性だけでもS1のうちに示してくれると嬉しい。

王の小指は誰のもの?「ハウスオブザドラゴン」1-1,2感想 - なぜ面白いのか

 

今回、その方向性が少し示されたように思う。

レイニラはデナーリスのように「自分に跪かない連中は全員燃やして解決だー!」とはならなかった。

民に大きな犠牲を強いることにも躊躇いを見せているようだった。

しかしドラゴンを使った恫喝外交は当然のように行う。オットーもエイゴンに跪かない貴族を処刑することで諸名家に脅しをかけていたから、デイモンによる「選択肢を与えよう(ドラゴンによる恫喝)」描写も対称性があってとても良い。

またレイニラとデイモンはレーナーの命は救ったが、そのために名前もわからない庶民男性は犠牲にしている。このへんは名前もわからない庶民女性(エイゴンにレイプされた被害者)を逃がそうとしたり、クリストンの自害を止めようとしたりしたアリセントとは対照的な描写だ。

ヴィセーリスへの態度がレイニラ・デイモンとアリセントで対照的だったことについては前回だいぶ語ったので今回は割愛。

レイニラは、基本的にはターガリエン的価値観の中で育ってターガリエン仕草をごく自然に行い、人を駒のように扱うことに躊躇いはないが、現時点ではデナーリスとは別の道を行きそうな印象である。

10話でいよいよこれは開戦やむなしの空気にはなったが、いきなりキングスランディングに乗り込んで「汚物は消毒だー!!」ムーブにはならないのではないか(なってたらゲースロ時代でも言及されていそうだからそれは起こらないと思われる)。

 

何がデナーリスとレイニラを分けたのか。

そりゃもうふたりは育ってきた環境をはじめ全然違うから、いろいろな理由があるに決まっているが、その理由のひとつはアリセントという「同世代の友達」の存在だろう。

レイニラは同世代の友達に自分の本音を打ち明け、受け入れてもらうことができていた。そういうことが可能だと知っていた。相手を支配する以外にも愛をもらう手段があるのだと知っていた。

その愛を最初に遮断したのはレイニラの方だったが。父親と親友が結婚するという事態を受け入れられないのはしゃーないとしても、クリストンとヤっちゃった件で明確に嘘をついたのは、アリセントにとってのターニングポイントになってしまった。

レイニラは自分が彼女に嘘をついたことを知られているとは思っていないだろうし、嘘をついたことすら忘れてしまっているかもしれない。

だからこそ、なのかもしれないが、レイニラにとってアリセントはブレーキを踏む理由になっている。

即開戦じゃオラァ! なデイモンと、アリセントからの手紙を見て涙したレイニラはよい対比だった。

デナーリスの幼少期は作中で描写されていないが、彼女をとりまく環境は支配・被支配による関係性がほとんどだったのではないか。それが結局、彼女の「愛」に対する感受性を歪ませることになったのかも。

 

もうひとつは、ヴィセーリスからエイゴンの視た夢について聞かされていたことかな。

これによってレイニラは玉座よりも大切なもの(=国土の安寧)がある」という考え方をインストールされた。だから即開戦に踏み切ることはなかったわけだ。

それに対してデナーリスは玉座奪還が最優先事項で、それを妨げるものはすべて燃やして解決してきた。デナ―リスは「王」のあり方についてまったく教育を受けていないので、「ぼくのかんがえたさいきょうの女王像」に従って行動しているわけで、そのロールモデルが間違っていたらそりゃ道を誤るのも当然である。

 

現時点では結局、3話の狩りでの描写が象徴的だったのかな。

3話の感想から引用すると、

自分に明確に外なすもの(=イノシシ)を殺すことに躊躇はないが、自分に危害を与えないもの(=牡鹿)を無闇に殺すことはない。

ブラッディプリンセス「ハウスオブザドラゴン」1-3感想 - なぜ面白いのか

 

レイニスはドラゴンによる民の犠牲を厭わないし、デイモンもレーナーの身代わりをさくっと殺しているが、レイニラ自身はまだ生きた人間を燃やしていないし、生きた人間を殺してもいない(レーナーの身代わりを殺すことに同意した時点でその理屈は成り立たないかもしれないが)。

わたしはターガリエン仕草は危険視しているが、逆にターガリエンとして生まれた者がターガリエン仕草からはずれた行動をとることには希望を見出している。

「運命」を理由に行動し、血の定めにひとつも逆らわずターガリエンらしく暴力的に生きて死んだデナーリスとレイニラが別の道を行くのなら、その先を楽しみに見届けたい。まあその先は滅亡なんだが(身も蓋もない)。

 

 

デイモンとかいう呑み込めないキャラ

こいつは最初から最後までわからんな。

前回ヴィセーリスを慕うような様子を見せたと思ったら、今回はヴィセーリスみたいなことを言うな! とバカにした文脈で言及するし。

兄の介護には全然関心を寄せなかったのに、最期まで介護したアリセントを殺人犯呼ばわりだし。

早産に苦しむレイニラがデイモンを呼んだのをわかっていたのに、駆けつけることなくドラゴンによる恫喝外交まっしぐらだし(前妻をお産で亡くしているのに、レイニラが同じような状況になったことに対して危機感がなさすぎでは??? トラウマになった? いやそんなキャラじゃないよな。むしろひょっとしてレイニラが死ぬのを期待してた? いや期待してたなら逆に前妻のときのようにお産の現場に駆けつけるか?)。

開戦を躊躇うレイニラに対しては暴力的だし。

間違いなく現時点で最も「我々の知るターガリエンらしさ」を発揮しているキャラではある。

 

わたしが不思議というか不満なのは、かつてレイニラとデイモンがふたりきりのときにヴァリリア語でしていた会話がなくなってしまったことだ。結婚した今となっては堂々とおしゃべりできるのだから、「秘密めいた会話」を演出する必要がなくなってしまったのだろうか。だめよ、結婚した後もときめきを失っては……。

レイニラとデイモンの間で意思の統一がうまくできていないことが、この先どう影響してくるのか。

あとデイモンは割と世界各地に恨みをかっていそうで、はたしてそれがこの先どう影響してくるのかも気になる。キングスランディングの娼館とか、アリン関係者とか(アリンのところのお嬢さんを娶って殺した件で騎士から恨まれている)、あとヴェラリオン関係者とかでデイモンガチギレクラブが結成できそうではないか。

 

 

どう転んでも待っているのは破滅なので楽しみ~! とは言いづらいが、しかしながら楽しみである。続きをのんびり待とう。

あ~原作どうすっかな~。

 

 

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