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漆黒の父性ランジートを語る「ファイナルファンタジー14」プレイ日記・30

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「暁月のフィナーレ」発売まであと3か月と少し。

それまでにできるだけここまでの物語を把握しておくべく、ジョブクエストやサブクエストをこなしている。

現在エウレカはパゴス編に突入。まさかの過去作キャラ登場にびっくり。暗黒騎士のエウレカウエポンを作りたいのだが、いろいろ緩和されたとはいえなかなか大変。

ジョブクエストは、踊り子がもうすぐ80になるところ。

それから先日公開されたベンチマークトレイラーを見て、これはやはりナイトも上げておくべきだろうと思い、剣術士を始めた。

あとは青魔道士もちまちま上げている。ラーニング楽しい。ジョブクエストはあそこからシリアス展開に入るのだろうか。もう少し上げると、ラーニングのためにパーティを組んでIDに行ったりする必要があるはず。これはこれで楽しみ。

トリプルトライアドのカードを集めるためにはアメノミハシラ30階に挑戦せねばならず、アメノミハシラに挑戦するためには死者の宮殿50階までクリアしなければならない。そんなわけで死者の宮殿もじわじわと進めていたのだが、先日ようやくたどり着いた50階でエッダちゃんに返り討ちにあった。道は遠い。

 

という感じの近況とはまったく関係なく、今日はランジート将軍について語る。

FF14にはキャラが多い。長々と語りたいキャラも多い。暁月発売までに何人分語れるかな。先日はエスティニアンについて語ったが、二番手はランジート将軍だとそのときから決めていた。

漆黒5.0までのメインクエストとエデン再生編までのネタバレあり。

 

 

 

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ランジート将軍と「ミンフィリア」たち

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ランジート将軍がわたしにとっての「推し」かと問われれば、そういうわけではない。

特別お気に入りというキャラでもない。

でもわたしは彼のことが忘れられないし、彼の存在はユールモアをめぐるシナリオ、ひいては漆黒のメインクエストを面白くしてくれた。

ランジートは強く、善悪を判断する能力もある。ユールモアのあの異常な環境にあって、ヴァウスリーのことを「正しくない」と判断するだけの感性もある。

しかしその上で、彼はヴァウスリーについた。騙されていたわけでもなく洗脳でもなくテンパード化でもない。彼自身の意思で。

そのキャラクターの立て方がとても面白く、わたしの興味をひいた。

「なぜなのか」は、結局作中で明示されることはなかった。それもまたわたしには面白かった。

 

あれだけの人がなぜ、「正しくない」と思いながらもヴァウスリーの作る偽りの平和に身を捧げたのか。

それは結局「娘」のためだったのだと思われる。彼の死の直前に見えた小さな吹き出しは、娘たちを呼ぶものだった。

想像でしかないが、最初はランジートの実の娘が「ミンフィリア」になったのではないだろうか。「ミンフィリア」になり、そしてもちろん死んだ。

その後、次の「ミンフィリア」たちも自分の娘と同じように守り、大切にし、そして失った。たぶん何人も何人も。

その末に、「正しくなくてもいい。『ミンフィリア』を守れるのなら」という結論に至った。

それは確かに「親心」と呼ぶべきものなのだろう。「正しさ」では娘たちを守れず、「正しくない」ものに縋るしかなかった父親。

 

作中、彼は「父性」の象徴としてヒカセン一行の前に立ちふさがる。英雄譚のお約束、「親殺し」されるためのキャラクターだ。

ランジートとの戦いを経て、少女は大人に、少年も大人になっていく。

その先の「神殺し(=ヴァウスリーとその先のハーデス)」に至るためのステップのひとつ。文字通りの「踏み台」にすぎない。

ランジート自身も、最後はそれを自覚していただろう。わかっていて、その上で「踏み台」となることを選んだ。「親」を乗り越えていく子供たちに、あとのことを託して。

 

漆黒は「失楽園」のテーマを繰り返し使っているが、ランジートにとっての「楽園」は娘(たち)との生活だった。もうこれ以上失いたくない、「楽園」を守りたい、穏やかな平和を取り戻したい。

その動機は結局のところ、エメトセルクや水晶公、第一世界に生きる多くの人たちと変わらないのだ。

彼は強かったがゆえに、罪喰いの強さも理解できた。この「終わってしまった」世界に抗おうとして絶望したことも一度や二度ではなかったはず。だからこそ、自分ほどの「強者」ですら抗えなかったからこそ世界に絶望し、あきらめ、ヴァウスリーに託すしかないと思ってしまったのかもしれない。

 

 

リーンとランジー

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父親への反発によって自己のアイデンティティが形成され、精神的自立を促す。そう書けば、どこにでもある親子の物語だ。

リーンにとってランジートは保護者であり、尊敬すべき「強い人」であり、同時に逆らえない相手でもあった。

それに立ち向かうことができたのは、サンクレッドやヒカセンたちとの旅の中で成長することができたから。それまで「絶対」とされてきた価値観を相対化することができたから(なにしろ異世界人との旅だったわけで)。

 

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ランジートを乗り越えて彼女が望んだことは、「次の誰か」に想いを伝えること。次の世代、自分の後に生きる人のために希望をつなぐこと。

これを考えられるようになった時点で、彼女は「子供」から「大人」になったのではないだろうか。守られるだけの子供ではなく、次の世代を守る側の人間になろうとしているのだから。

彼女にこの考え方を教えてくれたのはサンクレッドであり、ウリエンジェであり、光の戦士なのだろう。あるいはランジートもそこに少しは寄与しているだろうか。ランジートも彼なりに、やり方は間違っていたけれど、「次の誰か=ミンフィリア」を守ろうとしていて、そのことはリーンもよく理解していたのだから。

 

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リーンがランジートのことをどう思っていたのかについてはもう、このフェイトブレイカーのデザインがすべてではないだろうか。

彼女の思い描く「最強」は、サンクレッドとランジートを合体させたイメージだった。明らかにサンクレッド成分の方が多いが、まあ。

リーンはランジートの強さも厳しさも優しさも、ちゃんとわかっている。そのことがよく伝わってきて、ここの演出には心動かされた。

フェイトブレイカーのデザインは社内コンペを行っていたようで、そんな予算が出たことに感謝である。開発費をいい感じに使ってもらえると払った方も嬉しいよね。

www.famitsu.com

 

サンクレッドとランジー

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わたしとしては、むしろこっちの方こそ疑似親子ではないかという気がしている。

サンクレッドにとっても、ランジートは倒すべき「父性」であり、少年であり続けることをやめて「大人」になるための通過儀礼だった。少々遅い成長期だが。

原初世界のミンフィリアと正面から向き合わないまま彼女はいなくなり、サンクレッドは「大人」になりきれないままでいた。

第一世界で「ミンフィリア」と出会っても、彼女としっかり対話しないまま大事な決断を先延ばしにし続ける。エメトセルクの「もっとよく話し合うべきだった」という言葉はまったくの正論。

考えてみれば、サンクレッドにとって倒すべき「父性」はずっと不在だった。

実の親はいない。

自分を拾ってくれたルイゾワは、超えられる目途すら立たないうちに第七霊災で死亡。

自分にとりついたラハブレアは自分と関係ないところで消滅。

何かを「乗り越える」機会がずっとなかったわけだ。

そんな彼にとって、今度こそ守りきりたいのが第一世界の「ミンフィリア」。対峙するランジート。やっと訪れた成長機会である。

倒すべき「父性」をやっと乗り越えて、彼は一人前の大人になる。

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いいよね、このシーン。すごく好き。

そこからの「リーン」の名づけによって、彼らは家族になった。

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アルフィノの名はやっぱりフルシュノが……?

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エデンでのこのあたりのセリフを見ていると、サンクレッドも成長したなあと思ったりする。

彼らは再び離れることになってしまったが、今もその絆は結ばれているはず。

今もランジートのエーテルがあの世界のどこかで見守っているのなら、今のリーンの姿に納得してくれているのではないだろうか。そうであってくれたらいいと思う。

 

 

ssayu.hatenablog.com