現在進行度87%、物語もいよいよ大詰めだ!!
ラスボス戦前に知っておくべき情報は概ね出そろった感がある。もちろんまだわからないことはいろいろあるが、この先をどこまで明かすかは製作者の匙加減ひとつだろう。
これからラストダンジョンに突入するところだが、その段階になってサブクエストと新モブがわんさかわいたので、片っ端から片づけているところ。サブキャラたちの深堀りはどれも楽しいな。
発売直後に書いたとおり、このゲームは本当に「わたしの知ってる『ファイナルファンタジー』」だ。それを書いたときから、それって悪く言えば「新しさがない」ということだともわかっていた。
今作はそこまで「尖った作品」ではなくて、あくまで「わたしの知っている『ファイナルファンタジー』」を、最新ハードの美しい映像と演出と音楽を通して、「大人になったわたし」が楽しめる物語の解像度をもって提供してくれているものだと思っている。
シリーズ1桁台のファンであり、現役光の戦士(FF14プレイヤー)として「FFシリーズのテーマパーク」で遊んでいるわたしが、FF14プロデューサーでもある吉田Pが作る新作ゲームに期待するものはまさにそういうものだった。吉田Pの考える「FFらしさ」とわたしの考える「FFらしさ」は近いと感じているし。
だからこう、吉田Pは「FFらしさ」と「新しさ」のうち「FFらしさ」を選択したんだろうなと思っている(もちろんそんな単純な二択ではないだろうけど)。
ある意味で令和最新版の「古典」を読むような体験だ。面白いよね。
エンディングを見てどう変わるかはまだわからないけど、現時点での作品全体への印象はそんな感じ。
では以下、進行度87%までのネタバレ感想!!!(サブクエストのネタバレもあるよ!)
初回感想はこちら!
バルナバス/オーディン
前回の記事で「本当に人間かどうかもあやしい」と書いていたバルナバス、やはりとっくに人間をやめていたようである。
もともとアルテマを信仰する宗教にもとづいた、だいぶ偏った世界観教育を受けて育ち、その教育を仕込んだ母親を殺されたことで人間に絶望してアルテマに堕ちたってことかな。
このへんの発言を見るに、バルナバス自身もかつてはドミナントとしての力に悪意を向けられたことがあるのかも。
オーディンのドミナントは「闇の民」とやらの一族に宿るそうだが、記録上バルナバス以外にオーディンが宿ったことはないとか。となるとその「闇の民」の中でも迫害されたりした可能性はあるかもしれない。それが原因で外大陸から灰の大陸に渡ってきたとかかな(ハルポクラテスの解説でだいぶいろいろ補完できるので本当に助かる)。
しかしアルテマを奉じる宗教に帰依していて、アルテマの目的も(ある程度は)知っていて、すべてのドミナントがミュトスのための贄だとわかっていたのなら、彼はかなり早い段階から自分が贄として食われることはわかっていたということになる。ミュトスに食われても生きているドミナントもいるから、贄になることで必ずしも死ぬという意味にはならないけども、結構な確率で死ぬことは受け入れていたんだなあ。
まあ宗教家ってそういうものかもね。
今作、不死鳥教団だとかほかにもいろいろ宗教が出てくるけど、さまざまな形で信仰に命を捧げる描写がある。
その行為を安易に肯定することはできないが、今作ではそれを、少なくとも「人として死ぬ」行為として描いているように思う。自分の信じるもののために自分の人生を捧げることは、自分の人生に自分で意味を与えるということにほかならない。それすらも許されない人たちも多いヴァリスゼアにおいては、たしかにそれは「人」としての尊厳を紙一重で守る行為なのかなと思わされる。
しかし同時に宗教家の危うさもまた描かれているように思う。
彼らは「正しさ」の根拠を社会規範や自己の善悪観ではなく、すべて信仰に置いてしまう。ゆえに「明らかに間違っている」「明らかに合理的でない」「明らかにもっと良い選択肢がある」事実を目の前にしても、それが教えと矛盾する場合には、事実の方が間違っていると断じてしまう。
バルナバスも人がアカシアになるのを見て、彼らが塵になるのを見て、「自分も早くああなりたい~~~!!」と本当に思ってたんだろうか。アカシアになったら救われたかとかあるべき世界になったかとかもわからないまま、ちゃっちゃと塵になっておしまいだとは思わなかっただんろうか。それとも、そうなったとしても人としての生の苦しみよりはマシだと思ってたんだろうか。
うーん、やっぱりそういうことかな。サブクエストで出てきたアカシアになりたい教(正式名称を忘れた)の人たちもそんな感じだったもんな。
ただここに来てシドの「奴がおかしくなったのは……」発言がわからなくなってしまった。
わたしはあのセリフは「アルテマが原因でバルナバスがおかしくなった」という意味だと思っていたのだが、この人、灰の大陸に来る前からあんな感じだったのでは? 遅くとも母親を殺された後にはおかしくなっていたのでは?
いやウォールード建国から40年間、まがりなりにも国家運営に携わり、ベアラーの扱いが最悪だった以外はそれなりにうまくやっていた(灰の大陸の集落がほぼ滅んでいるから実際どうだったのかわからないが)のなら、人前では一応まともな国王をやっていたのか?
「建国の英雄」なのだし、多少のおかしな言動が許容されるのはわかる。「不老」が「多少のおかしな言動」に含まれるかはわからない。少なくとも全裸中年男性っぷりは人前ではやってないはずだ。
どこかでシドに本来の目的を聞かせて、それにシドがドン引きして「王がおかしくなっちゃった!」と思ったとかかなあ。
シドが何歳くらいのときにバルナバスと出会ったのかがとても気になる。子供の頃にドミナントとして目覚めていたなら、ウォールード建国直後から知り合っていた可能性もある。
……と思っていたのだが、バルナバスが建国したのが20歳くらいの時点で、それから20年くらいたってから不老になった(ので40歳くらいの外見で止まっている)という考察を見て(まさに今書きながらいろいろ検索している)、それならシドが「おかしくなった」と言うのもわかるなという結論に。
わたしは「40年間年をとっていない」のだと思い込んでいたので、建国当初からあの外見のままなのだと想像していたのだが、「建国後40歳くらいまでは普通に年齢を重ねて、そこから全然老けない」という話なら納得だ。
実際どうなんだろうなー。数千歳の可能性もあるとか思っていたのだけど、設定資料集とかで実年齢が公開されたりしないかな。
バルナバスは本当にアカシアか
現時点でいちばんプレイヤーによって解釈が分かれそうだしいろんな人の解釈を知りたいと思っているのがこの問題。
ご本人の自己申告によれば彼は人間をやめてアカシアになっていたようだが、本当にそうだったんだろうか?
アカシアとは「自我をなくした無垢な存在」だということだが、クライヴくんの目にも、そしてわたしの目にも彼が「自我をなくした無垢な存在」には見えなかった。
とりあえず全裸中年男性シーンだけ見ても「無垢」とはとても言えんやろ。自己矛盾に気づこうぜ。あとアレな話で申し訳ないけども、男性の機能とかどうなってたんだろ。
いや、彼の定義では「無垢」とは「神にさからわない」存在ということだったのかもしれない。だったらまあ……(まあ?)。
「自我をなくした」という方も疑わしい。
クライヴの指摘はまったくそのとおりで、ちょうどわたしも同じことを考えていたので「それな!!」とシンクロした。バルナバス、バリバリに自我があるでしょ。対象が母親だろうが何だろうが、強い執着は自我以外の何物でもない。
「人を救いたい」という願いも、人の悪意に失望する意識も(というかウォールードの孤児院や監獄を見る限り、国家体制側が「人の悪意」をシステマティックに増幅してたわけで。それを見て「ほーらやっぱり人って最低じゃん」と思ってたの? 自分が悪化させておいて? 人の悪意に失望したならクライヴのお父上を見習いなさいよ!!! 彼は自分の代では終わらないことも覚悟しながら、ベアラーに対する人の意識を変えようとしてたじゃん。不老になった彼なら、それを「一代」でなすことだってできたんじゃないの?)自我に由来するものでしょ。
そして何よりも、バルナバスは最後にクライヴのことを「ミュトス」ではなく「クライヴ・ロズフィールド」と呼んで戦いを挑んだ。
ここまで、ベネディクタにしてもフーゴにしても、最後は召喚獣バトルで決着をつけてきた。しかしバルナバスとはオーディンに顕現した状態でのバトルは短くて、最後は「人」として戦った。ここがすごく重要なのだと思っている。
あれは「オーディンとイフリート」あるいは「贄とミュトス」との戦いではなく、「クライヴとバルナバス」、つまり「人と人」、「自我と自我」との対決だった。
だからバルナバスは「ミュトスの贄」として、「殉教者」として、アルテマのために死ぬのだと満足していたかもしれないが、実際にはクライヴは彼を「人として死なせた」のだ。ざまあみろ(台無し感想)。もちろんクライヴ自身は戦いながらそこまで考える余裕はなかっただろうけど、結果として彼の信念が貫かれることになってスカっとしたね。
忠実な信徒としてアルテマに最大の貢献をするこのシーンこそ、本来なら「ミュトス」と呼ばなければいけないところなのに、クライヴの名前を呼んでしまっている。もう大失態中の大失態である。だからこそ、わたしは最後の最後にバルナバスに魅かれた。彼についてのいろいろな解釈を見たい!
それくらい、バルナバスから見てクライヴくんの強さや彼の生のあり方、信念は魅力的に見えてしまったということだろう。
無意識レベルで「生の喜び」を感じてしまうくらいに。
で、結局のところバルナバスはどこまで「アカシア」だったのだろうか。
わたしは彼は人間としての機能のいくらか(不老ってことは新陳代謝を行ってないとか?)は失っているのだろうけど、たとえば心臓と交感神経は生きていて、興奮して脈拍が上昇したりホルモン分泌されたりすることくらいはあったのではないかと思っている。最後の戦いっぷりと興奮した声を聞くに。
精神的にもやっぱり、バルナバスとしての自我がほとんど残っていたのではないかと。
さっき上で貼った画像で「今度こそ救われる」と言っていたということは、アカシア化した(と思っている)状態でも救われてなかったってことじゃん。少なくとも彼には「救われた感」はなかったわけじゃん。使えねーなアルテマ!!!
もちろんバルナバスとしては自分だけが救われてもそれは真の救済にはならず、世界が「真あるべき姿」にならなければ自分自身も本当の意味で救われることはないと思っていたはず。だからこその「今度こそ」なのだろうけど、やっぱりそんなふうに思ってる時点で自我があるんだよな。一行で矛盾する存在だよ、彼は。だからこそ面白くて、いろいろ考えてしまうんだな。
クリスタル無き世界の生き方
現在、わきまくったサブクエストを片っ端から片づけているところ。
サブクエストでサブキャラやこれまでにたどってきた町のその後が見られて楽しい。
そして多くのストーリーで、クリスタルがなくなった、つまりこれまでのようには魔法を使えない世界でどうやって生きていくかを模索する描写があるのがとてもいい。
最初のクリスタルを壊すことになった時点で、これは最終的に魔法が使えない世界になるのかもしれない、ベアラーもドミナントもいなくなるのかもしれないと思った。そしてそんな世界では「機構士」としてのシドの働きの意味が大きくなるのだろうとも。
シドは亡くなってしまったけれど、その発明品は残っている。それに彼の遺志はミドが継いで、魔法が使えなくても暮らしていくための発明を続けている。
黒の領域で生きている彼らは、魔法を必要としない。きっとこれからは誰もがその生き方をするようになる。サブクエストでその一端が見えてほっとした。
何しろクライヴくん、インフラ破壊王子だからさ……。みんながこの後生活していけるのかが本当に心配で。彼が今後の生活基盤を提供できるなら、わたしの罪悪感が多少なりとも軽減される。
ゲーム会社はちゃんとした校正を雇ってくれ
最後にこれは常々思っていることだが、ゲーム会社は世に広くテキストを読ませる以上、ちゃんとした校正を雇うべきだと思う。特に教育課程にあるような年齢の子もプレイするようなゲームの場合、間違った文法や間違った漢字を読んで育つとそのまま覚えてしまいかねない。その責任を自覚してほしい。スクエニくらいの規模の会社なら、専属の校正を何人か雇った方がいいでしょ。
「意志」と「遺志」の間違いとかは気になりつつもスルーしたけど、これ↑は絶対やったらダメな間違い。
これだと「炎が絶えてほしい」という意味になってしまう。「炎の絶えぬことを」なら正しい。キリスト教の「主の祈り」では「御国の来たらんことを」と言うけど、あれは「来てほしい」という意味でしょ。
なぜボイスを収録する前に校正を入れなかったのか。ボイス収録してるのにどうして声優さんも録音する人もディレクションする人も間違いに気づかなかったのか。本当にひどい。この手のシナリオに携わる人なら最低限の古文の知識は必要だろうに。
不死鳥教団が出てくるたびに激萎えするのでどうにかしてくれ。一刻も早くボイス収録しなおして修正アップデートしてほしい。
そんな感じで不死鳥教団への印象は最悪なのだが、ほかのサブクエストはサクサク進めて、残っているのはあとわずか(一度に大量にクエストを受注してバラバラに進めるとわけがわからなくなるので、最大3つまでしか受注しないようにしている)。
全部見終えたら突入だ!! ディオンくん、死ぬなよ……!